2017年10月18日

メガネの見本市

昨夜のニュースで国際眼鏡見本市の模様を放送していました。
メガネの国際・・・・・・・・、そうか、メガネは万国共通なんだ。
当たり前のことですが今更ながら気が付いた次第です。
老眼鏡では眼鏡枠のツルというのか横の部分を押すと
ピンポイントで拡大されるものも紹介されていました。

遠視のためか30代半ばから老眼で新聞紙は床に置いて
しか読めなくなってから、どれくらい経つでしょう。
若い頃は大阪まで仕入れに行く車内で新聞を少し離せば
読めましたが、それも年齢とともに肘を伸ばさないと読めなくなり、
ついには、自分の手が伸びないと無理、そんなところまできて
車内での新聞はなくなりました。

それでも、メガネはかけたくないと忍耐の日々、同年代の友人の
多くは遠近両用だとか老眼鏡が手放せなくなっています。
それで・・・・私はと言えば、100均の老眼鏡を寝る前の読書と
議会で細かい字を読むときにかけるだけで、ひたすら忍の一字で
これまできました。
今でも京阪電車の向かいのホームの時刻表が読めますが、
視力は確実に落ちています。

年齢とともに世の中が見えだして、見なければよかった
そんなことが増えてきました。
それは周囲の人だけではなく自分自身の醜いところも
含めてで、見なかったり知らなかったり気づかなかったら
もっと楽しい日々があったかもしれませんし、自己嫌悪や
失望や腹立たしさとも無縁だったかもしれません。

ただ、自分自身の醜い部分を認識して美しい・・・・・
ちょっと青臭い言い方ですが、そんなところも自覚できる
ようになりました。
キャベツや玉ねぎの皮むきではありませんが、何でも
好奇心や一時の興に乗じて明らかにしたり見ようとすることが
意味あるものではないことにも気づきました。
誰にでも見せたくない部分はありますし、着飾っていたい
部分があります、人も自分も・・・・・。

見にくいものがある方が自動車の運転同様、人生を慎重に
そして謙虚に生きられる、実は何もかも知ったような気持ちで
いても、何も知らない手探りで人は人生を歩んでいる、そんな
ことも思ったりする秋の夜です。

Posted by いとう茂 at 21:56│Comments(0)
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