2017年11月16日
ちょっとした節目、そして通過点
稚拙な私のブログのアクセス数が、今日にも20万回に
届きます、6年余りかけてここまで来ました。
顔は見えませんが誰かが閲覧してくださり1回、また1回と
アクセス数を重ねてきたことだけは確かです。
思い付きのような文章ばかりで読んでいただく方にとっては
めだるいものに違いないと思っているのですが、それが私の
器であり能力です。
打ち込む時間は決めていますので、さほど苦にはなりませんが、
ブログ用と言うことではなく普段考えていることを文章に
しょうと思うと組み立てに思わぬ時間を要したり、打ってみて
なんだ、この程度のことしか考えられないのかと、改めて
自分の思慮の浅いことを痛感したりの連続です。
車の運転をしていたり、ぼんやり外を眺めているときに
キーワードと言うような大げさなものではありませんが、タイトル
らしき単語が浮かんできて、それについて考えるというパターンが
一般的で、文章がまず浮かぶということは稀です。
今年は「げんき通信」の発行を始めて30年の年です、1987年、
昭和62年と言う年を振り返ると上り坂をグングン加速して
走り出した自分がいます、無茶と言うより無謀と言うほうが
当てはまりそうな生き方だったように思います。
自分の可能性や人生の目的、そんなことも考えていたのでしょうが、
そうしたことは別に、夢だけ追って生きている姿があります。
昨年は一度もげんき通信を発行できませんでした。
ブログから引用することが多いのですが、それすらままならなかった
一年でした、上り坂で下ばかり見ていたのかと言えば、そうでは
ありませんし、休んでばかりいたわけでもありません。
20万回と言う節目の回数も30年目と言う年も、すべて通過点です。
振り返ることはあっても後戻りはできません、いくら飾ろうとしても
現した馬脚は飾りようもありません。
ありのままで歩いて行こう、節目でちょっと立ち止まりゴールの見えない
人生を考えたときに出てきた気づきです。
届きます、6年余りかけてここまで来ました。
顔は見えませんが誰かが閲覧してくださり1回、また1回と
アクセス数を重ねてきたことだけは確かです。
思い付きのような文章ばかりで読んでいただく方にとっては
めだるいものに違いないと思っているのですが、それが私の
器であり能力です。
打ち込む時間は決めていますので、さほど苦にはなりませんが、
ブログ用と言うことではなく普段考えていることを文章に
しょうと思うと組み立てに思わぬ時間を要したり、打ってみて
なんだ、この程度のことしか考えられないのかと、改めて
自分の思慮の浅いことを痛感したりの連続です。
車の運転をしていたり、ぼんやり外を眺めているときに
キーワードと言うような大げさなものではありませんが、タイトル
らしき単語が浮かんできて、それについて考えるというパターンが
一般的で、文章がまず浮かぶということは稀です。
今年は「げんき通信」の発行を始めて30年の年です、1987年、
昭和62年と言う年を振り返ると上り坂をグングン加速して
走り出した自分がいます、無茶と言うより無謀と言うほうが
当てはまりそうな生き方だったように思います。
自分の可能性や人生の目的、そんなことも考えていたのでしょうが、
そうしたことは別に、夢だけ追って生きている姿があります。
昨年は一度もげんき通信を発行できませんでした。
ブログから引用することが多いのですが、それすらままならなかった
一年でした、上り坂で下ばかり見ていたのかと言えば、そうでは
ありませんし、休んでばかりいたわけでもありません。
20万回と言う節目の回数も30年目と言う年も、すべて通過点です。
振り返ることはあっても後戻りはできません、いくら飾ろうとしても
現した馬脚は飾りようもありません。
ありのままで歩いて行こう、節目でちょっと立ち止まりゴールの見えない
人生を考えたときに出てきた気づきです。
Posted by いとう茂 at 21:51│Comments(0)