2019年08月11日
面白い話⑰
今日も東井義雄さんの詩集から紹介します。
浅学非才の身ですので教育を語ることなどはできませんが、
東井さんの詩を読んでいると教育とは特別なことでは
ないのかも知れな、そんな思いになります。
どれだけ子どもを中心に考えることができるか、自分の都合や
学校の都合、親の都合ではなく子どもが中心にいるか。
そのことの自問の連続と、確認作業を怠らずにできているか。
しっかり一人ひとりを見て、その子のいい所を認めて伸ばす
その努力ができているか、子どもたちにボールを投げさせても、
走らせても、少なからず差が出ます。
こちらが求めているところまで投げられる子どもや求めている
タイムで走れる子どもがいい子で、それに満たない子どもは
努力不足のレッテルを張っていないか、子どもたちの可能性を
引き出す努力をこちらがせずに、子どもたちの可能性や限界を
勝手に決めていないか・・・・・・。
『百千の灯あらんも・・・・』
自転車を押して
疲れ切って帰ってくるとき
わたしを待ってくれている灯が
ともっているのをみると
ホッとする
心が安らぐ
疲れが消える
あちらの家
こちらの家にともっている灯と
おなじ灯なのに
うちの灯より
もっと明るいのもあるのに
ふしぎな力をもった
「われを待つ灯」
「百千の灯あらんも
われを待つ
灯はひとつ」
この世の旅を終ったとき
帰らせていただく
いのちのふるさとの
「われを待つ灯」を
億念せずにおれない
ふしぎな力をもった
「われを待つ灯」
『バカにはなるまい 』
テストでいつも良い点ばかりとっている人が
必ずしも賢い人とはいえない
そういう人のなかにも
案外 たくさん馬鹿な人がいる
テストで どうしても良い点のとれない人が
必ずしもバカな人とはいえない
そういう人のなかにも
たくさん
おがみたくなるような尊い、偉い、賢い人がいる
せっかくいただいた ただ一度の
かけがえのない自分の人生
二度いただけない 大切な 自分の人生
それを自分で汚しダメにし
台無しの人生にしてしまう人
こんな人は
いくら頭よくたって バカだ
浅学非才の身ですので教育を語ることなどはできませんが、
東井さんの詩を読んでいると教育とは特別なことでは
ないのかも知れな、そんな思いになります。
どれだけ子どもを中心に考えることができるか、自分の都合や
学校の都合、親の都合ではなく子どもが中心にいるか。
そのことの自問の連続と、確認作業を怠らずにできているか。
しっかり一人ひとりを見て、その子のいい所を認めて伸ばす
その努力ができているか、子どもたちにボールを投げさせても、
走らせても、少なからず差が出ます。
こちらが求めているところまで投げられる子どもや求めている
タイムで走れる子どもがいい子で、それに満たない子どもは
努力不足のレッテルを張っていないか、子どもたちの可能性を
引き出す努力をこちらがせずに、子どもたちの可能性や限界を
勝手に決めていないか・・・・・・。
『百千の灯あらんも・・・・』
自転車を押して
疲れ切って帰ってくるとき
わたしを待ってくれている灯が
ともっているのをみると
ホッとする
心が安らぐ
疲れが消える
あちらの家
こちらの家にともっている灯と
おなじ灯なのに
うちの灯より
もっと明るいのもあるのに
ふしぎな力をもった
「われを待つ灯」
「百千の灯あらんも
われを待つ
灯はひとつ」
この世の旅を終ったとき
帰らせていただく
いのちのふるさとの
「われを待つ灯」を
億念せずにおれない
ふしぎな力をもった
「われを待つ灯」
『バカにはなるまい 』
テストでいつも良い点ばかりとっている人が
必ずしも賢い人とはいえない
そういう人のなかにも
案外 たくさん馬鹿な人がいる
テストで どうしても良い点のとれない人が
必ずしもバカな人とはいえない
そういう人のなかにも
たくさん
おがみたくなるような尊い、偉い、賢い人がいる
せっかくいただいた ただ一度の
かけがえのない自分の人生
二度いただけない 大切な 自分の人生
それを自分で汚しダメにし
台無しの人生にしてしまう人
こんな人は
いくら頭よくたって バカだ
Posted by いとう茂 at 20:21│Comments(0)