2019年07月31日

面白い話⑯

東井義雄さんの詩です、今回で3回目ですが、
詩を作ることを本職としている人とは違う、味わいを
感じます、実践を通して詩を作り、詩を通して実践に生かす、
そうしたことを感じています。
学力向上が学校で教えるもっとも重要なことだとは
思いません。
人としてどうあるべきか、そのことは教師の背中を見て
子どもたちが学んでいくことではないかと思います。
教科書には書いていないことをどう子どもに伝えるか、
そのことのヒントが東井さんの詩にあるように思います。

「あたりまえ」

あたりまえ
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう
あたりまえであることを
お父さんがいる
お母さんがいる
手が二本あって、足が二本ある
行きたいところへ自分で歩いてゆける
手をのばさばなんでもとれる
音がきこえて声がでる
こんなしあわせはあるでしょうか
しかし、だれもそれをよろこばない
あたりまえだ、と笑ってすます
食事がたべられる
夜になるとちゃんと眠れ、そして又朝がくる
空気をむねいっぱいすえる
笑える、泣ける、叫ぶこともできる
走りまわれる
みんなあたりまえのこと
こんなすばらしいことを、みんなけっしてよろこばない
そのありがたさを知っているのは、それを失くした人たちだけ
なぜでしょう
あたりまえ 


「根を養えば 木はおのずから育つ 」

見えないところで 見られることを 期待せず ひたすら
はたらいている根
それに支えられ 養われて 天にそびえる 大樹あり
花が 花咲き 実が 実を結ぶ

させられる仕事から する仕事に変わるとき 苦しみは
喜びに変わり
生きがいに眼を輝かせる

ほめてもらうことも 礼をいってもらうことも あてにせず
ただよろこんでもらうことを よろこびとして 生きる生き方

見てもらえなくたっていいんだ ほめられなくたっていいんだ
そういうところでの 全力投球 そこにぼくの生きがいがあるんだ

できないことをよけて通るのでなく できないことを見つけ出し
それに挑戦しようとする 君 宝は そういう人のみ
掘りあてられる

「ほんもの」と「にせもの」は 見えないところの 在り方で決まる
それだけに 「にせもの」に限って 見えるところばかりを気にし
飾りますます 「ほんとうのにせもの」になっていく

小さい銀杏(イチョウ)の実の中にも 天にそびえる大木になる力が
潜んでいる
君の命の中にも 素晴らしい未来を創るエネルギーが
いっぱいつまっている
君のその人間らしいあたたかいものが やるぞという
強い意志と一つとなって
君のいのちの中で すでに ウズウズしはじめている

Posted by いとう茂 at 22:25│Comments(0)
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