2020年01月01日

あけまして おめでとう ございます

あけまして おめでとう ございます、2020年の幕開けです。
真っ白なキャンバス・・・・・とはいかないかも知れませんが、
年の初めにどんな自己実現像を描きますか。
私は30年近く求め続けている「ほっとするおっちゃん」ですが、
いつの間にか「ほっとするお爺さん」になっているようです。
30年前と比較して、多少は丸くなり人間的な幅も出てきたかと
思うのですが、ほっとするおっちゃんには、まだまだ遠い道のりで
論語の中の、
子曰、恭而無禮則勞、愼而無禮則子葸、勇而無禮則亂、
直而無禮則絞、君子篤於親、則民興於仁、故舊不遺、則民不偸。
何のことだか分かりませんね。

「もし恭しく振舞おうという気持ちがあっても礼儀作法を
心得なければ骨が折れるだろう。
もし慎重に行動しようとしても礼儀作法を心得なければ
卑屈だと思われるだろう。
もし勇気があっても礼儀作法を心得なければ乱暴者と
呼ばれるだろう。
もし正直たろうとしても礼儀作法を心得なければ辛辣な
物言いになるだろう。
もし君主が親戚に対して手厚く対すれば人々の心に
仁が芽生えるだろう。
もし君主が旧友を大切にすれば人々は親切になるだろう。」
という意味で、その中でも身にしみて感じているのが、
正直たろうとしても礼儀作法を心得なければ辛辣な
物言いになる、という部分で、これまでに様々な場面で
丸い卵も切りようで四角。
丸い物なのに礼を失して言い方がまずくなり角が立つことが
多くあり、そのつど反省したり後悔したり・・・・でした。

細い路地を竹竿を横にして持って歩くような生き方をしてきた
部分があります、こちらから石を投げたつもりはないのですが、
石をぶつけられると、つい痛さからもっと強く石を投げる。
それが相手にすれば自分が投げた石のことを忘れて、私が
投げた石の痛さだけを周りにアピールする・・・・・と私は思っています。
どちらが先にせよ相手に大きな傷を残すような石を投げることは
いい事ではありません。
どんな石にせよ投げられる私にも落ち度がある、そこから考え方を
変えないと円滑な人間関係は築くことができません。
そんな気付きもありました。

自己実現像が「ほっとするおっちゃん」そんな人はあまりいないでしょう。
従業員を何千人も使って地域で一番大きな企業にしたい、大会社の
社長になって大きな邸宅に住みぜいたくな暮らしがしたい、医師になって
多くの人の命を救いたい・・・・・・。
具体的な目標が自己実現像なのかもしれません。
それでも私はほっとするおっちゃんで行こうと思います、ほっとする
お爺さんになっても・・・・ゆめゆめゾッとするおっちゃんにだけは
ならないようにしないと・・・・・・・。



Posted by いとう茂 at 20:50│Comments(0)
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