2020年03月16日

寄り添うとは・・・・反省、反省、

ひきこもり、不登校の子どもを持つ何人もの親の声を
聞いて感じたことは・・・・・・・。
いくつか共通するものがありました。
いいとか悪いとかではなく、自然とそうした考えになっていった、
それしか選択肢がなかったというのでしょう、親自身が
自分のことを客観視できない、このままではいけないという
考えはあるのでしょうが、どうすればいいのか分からない
部分と、考え付くことをやりつくしたその結果の今を、
過ごしている、そんな部分がありました。

えこーとの面談ですので自分の家族のことや自分のことを
他人に話すわけで、ためらいや言葉を飾りたくなるのが本来の
姿かもしれませんが、そうしたことがありませんでした。
これが私個人の感想です、もしかすると自分の心の中の
大きなつかえを誰にも話せずに日々過ごしておられるのでしょう。
そのつかえが堰を切ったように出てきた。
これも私個人の想像であり感想です。
仲が良かった親の友達も子どもがひきこもりになったり不登校に
なったことで、よそよそしくなり次第に距離ができて疎遠になり、
親自身も孤立していたのかもしれません。

ひきこもりや不登校以外のことでえこーでは何人もの相談を
受けていますが、その中には今回面談した人たちとは違う
スタンスで話をする人もいます。
まだまだ困っていることに対応するゆとりがあるのかもしれない、
それともその相談者の人間性かもしれないと感じますが、まだまだ
困った事態になるのかと心配もありますし、気が付いているの
でしょう、事態はそんなに簡単なものではないのですよ、と話を
したくなることもあります。

「親が元気にならないと子どもさんも元気になりませんよ」分かりきった
ことですが、もしかするとこの言葉は親には厳しい響きがあった
かもしれないと反省しています。
これまで、何度も子どもの前では明るく振舞おう、なるべく笑顔で
子どもと向き合おう、と気力を振り絞ってこられた人間に
もっと笑顔で、もっと明るく、そんな要望を出していたのかもしれません。
これまでずいぶん苦しく辛い時間を過ごしてこられたのだと思います、
それなのに、それ以上に笑顔とか明るくとか・・・・・。
これは寄り添いではない、断じて寄り添いではない、そんな思いに
至りましたし、自分の未熟さを思い知らされ反省しかありません。
良かれと思って発した言葉が相手を傷つけ、その傷を見てこちらも
傷を負う、寄り添うとは上から見るのではなく下から様子をうかがい、
その人にあったペースで歩くこと、押し付けや中途半端な優しさは
いりません、謙虚にひたむきにだと思います。

Posted by いとう茂 at 21:07│Comments(0)
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