2020年11月20日
浮かんできた俳句
寝起きでぼんやりしている時にふっと浮かんできたのが
「菊作り 菊見るときは 陰の人」という吉川英治の俳句でした。
俳句や短歌に特別な関心があるわけでもないのに、
浮かんできたのが俳句でした。
この俳句は以前から知っていて好きなものですが、
最近、菊を見たこともなく浮かんできた理由は不明です。
吉川英治が菊を作っていたかは不明ですが、3本仕立てや
懸崖の菊を作るのには土づくりから始まって1年かかります。
夏場の水やりや肥料など、ずっとかかりきりになります。
翌年は同じ土は使えませんし、これから出てくる冬至芽を
1本ずつ育てなければいけません。
若いころに菊づくりをしたことがありますが、山に落ち葉を
拾いに行ったり、3本の茎の高さや花の大きさをそろえるのに
苦労した記憶があります。
丹精込めて作った菊が満足に育って、飾り人に見てもらって
目を楽しませる段になると、作った人は遠目からそっと
見守るだけで、自分が作ったと自慢しないものかもしれません。
大事業や偉業を成し遂げた人が苦労話を逐一語らず、
威張ることもない姿勢、そんなことにも通じるものかもしれません。
この俳句は吉川英治が友人の娘さんが結婚した時にお祝いに
作ったとされたと記憶しています。
確かこの俳句は対句になっていたことを思い出して調べました。
「菊根分け あとは自分の土で咲け」菊の土は毎年交換しなければ
いけませんが、菊の芽は今年咲いた菊から採り、代々つながって
いきます。
吉川英治は親父の本棚で見た作家ですし、城山三郎、伊藤肇も
本棚で知りました。
親父の影響か分かりませんが、城山三郎の本は若いころから
ほぼ読破してきましたし、伊藤肇の言葉は今も頭にいくつか残り、
物事を判断するときの指針になることもあります。
子どもは親の言うことを聞きませんが、親がしていた真似はする
ものなのかもしれません。
親父が亡くなってもう25年以上たつのに・・・・・。
何か言いたいことがあって、親父が浮かばせた俳句だったのかなぁ。
「菊作り 菊見るときは 陰の人」という吉川英治の俳句でした。
俳句や短歌に特別な関心があるわけでもないのに、
浮かんできたのが俳句でした。
この俳句は以前から知っていて好きなものですが、
最近、菊を見たこともなく浮かんできた理由は不明です。
吉川英治が菊を作っていたかは不明ですが、3本仕立てや
懸崖の菊を作るのには土づくりから始まって1年かかります。
夏場の水やりや肥料など、ずっとかかりきりになります。
翌年は同じ土は使えませんし、これから出てくる冬至芽を
1本ずつ育てなければいけません。
若いころに菊づくりをしたことがありますが、山に落ち葉を
拾いに行ったり、3本の茎の高さや花の大きさをそろえるのに
苦労した記憶があります。
丹精込めて作った菊が満足に育って、飾り人に見てもらって
目を楽しませる段になると、作った人は遠目からそっと
見守るだけで、自分が作ったと自慢しないものかもしれません。
大事業や偉業を成し遂げた人が苦労話を逐一語らず、
威張ることもない姿勢、そんなことにも通じるものかもしれません。
この俳句は吉川英治が友人の娘さんが結婚した時にお祝いに
作ったとされたと記憶しています。
確かこの俳句は対句になっていたことを思い出して調べました。
「菊根分け あとは自分の土で咲け」菊の土は毎年交換しなければ
いけませんが、菊の芽は今年咲いた菊から採り、代々つながって
いきます。
吉川英治は親父の本棚で見た作家ですし、城山三郎、伊藤肇も
本棚で知りました。
親父の影響か分かりませんが、城山三郎の本は若いころから
ほぼ読破してきましたし、伊藤肇の言葉は今も頭にいくつか残り、
物事を判断するときの指針になることもあります。
子どもは親の言うことを聞きませんが、親がしていた真似はする
ものなのかもしれません。
親父が亡くなってもう25年以上たつのに・・・・・。
何か言いたいことがあって、親父が浮かばせた俳句だったのかなぁ。
Posted by いとう茂 at 15:55│Comments(0)