2021年09月10日
糸賀一雄語録②
障害福祉の父と言われた糸賀一雄さんの
語録の紹介です。
【だから私共は子供達の貼られているありとあらゆるレッテルを
とり除いて、つやつやしく輝くきれいな額にしてやることが自分達の
任務であると信じている。
子供達の本質を誤って表示するレッテルは社会の心なき仕打ちに
外ならないのであって、そのことは社会が自分自身を自分の手で
ゆがめて行っているのに過ぎない。
いわば社会の自殺行為ともいえようか。(中略)
「子供の社会は大人の社会の鏡である」と古くから言われている。
少年達が荒んだ心とみじめな頼りない姿を露呈している此の
現実こそ、日本の社会の深い反省の素材でなければなるまい。
あまりにも価値高き犠牲を払って。
我々は祖国建設の歩みを踏み出したのである。
この子らは余りにも不幸であったが故に此の上もなく幸福に
してやらねばならぬ】
【換言すれば教育は即生活である。
職なきところに生命はなく、生命なきところ一切は無である。
教育とは食の指導であるといえば極論であろうか】
【赤ん坊は将来、やがては能力を示すであろうけれど、いまは
その可能性だけの存在である。
しかしその可能性のゆえに、愛され、期待され、肯定されている。
しかしそれとはちがって、重症の心身障害児たちは、やがては
ふつうの能力を示すようになることは、おそらく期待されていない。
向上の可能性がないというのではないとしても、ふつうのひとにまで
発達することはできないと見られているのである。
そういう宿命のような子どもたちの価値が、改めて確認されるというのは、
もはや単に能力の高低にかかわる価値の基準に照らしたものでは
ないということは明らかである。
実存の肯定であり、人間の生命そのものの尊重である。】
語録の紹介です。
【だから私共は子供達の貼られているありとあらゆるレッテルを
とり除いて、つやつやしく輝くきれいな額にしてやることが自分達の
任務であると信じている。
子供達の本質を誤って表示するレッテルは社会の心なき仕打ちに
外ならないのであって、そのことは社会が自分自身を自分の手で
ゆがめて行っているのに過ぎない。
いわば社会の自殺行為ともいえようか。(中略)
「子供の社会は大人の社会の鏡である」と古くから言われている。
少年達が荒んだ心とみじめな頼りない姿を露呈している此の
現実こそ、日本の社会の深い反省の素材でなければなるまい。
あまりにも価値高き犠牲を払って。
我々は祖国建設の歩みを踏み出したのである。
この子らは余りにも不幸であったが故に此の上もなく幸福に
してやらねばならぬ】
【換言すれば教育は即生活である。
職なきところに生命はなく、生命なきところ一切は無である。
教育とは食の指導であるといえば極論であろうか】
【赤ん坊は将来、やがては能力を示すであろうけれど、いまは
その可能性だけの存在である。
しかしその可能性のゆえに、愛され、期待され、肯定されている。
しかしそれとはちがって、重症の心身障害児たちは、やがては
ふつうの能力を示すようになることは、おそらく期待されていない。
向上の可能性がないというのではないとしても、ふつうのひとにまで
発達することはできないと見られているのである。
そういう宿命のような子どもたちの価値が、改めて確認されるというのは、
もはや単に能力の高低にかかわる価値の基準に照らしたものでは
ないということは明らかである。
実存の肯定であり、人間の生命そのものの尊重である。】
Posted by いとう茂 at 13:51│Comments(0)