2022年07月12日
自己肯定感
書籍や新聞などの活字では目にすることもありますが、
日常会話の中ではあまり出てこない言葉です。
自信と読み替えても意味はそれほど違わないように思います。
えこーで相談を受けていて感じるのは、この自己肯定感が著しく欠如した人が、
ひきこもり・不登校の当事者には多いということです。
自信過剰は問題ですが、自信がないのはもっと問題だと考えています。
「自分にはできない」この否定形から「できるかな」の疑問形になるまでに
時間がかかりますし、「やってみようかな」という気持ちから
実際に動き出すまでにも時間を要します。
ここで親や周囲の人から「何をもたもたしてるの、さっさとやりなさい」・・・
これは鋭利な刃物です。
再び、自分にはできないに戻ってしまいます。
人と話すのが苦手、人と会うのが怖い、ここから孤立が始まります。
家族との会話も極端に少ない人にとって、
外で誰かに会うということが大きな負担になります。
電話も嫌い、電車に乗るのも怖い、こうした人も少なくありません。
人間関係がうまく構築できないので、友だちと呼べる人が極端に少なく、
いても幼稚園の頃、仲がよかったという話が多く交流も時々しかなく、
高校やそれ以上になっての友だちはいないのが普通です。
えこーの面談では、褒めることはあってもお世辞は言いません
成人した大人が一人で医者に行けた・・・すごいですね。
昼夜逆転の子どもが、朝8時に起きられた・・・すごいですね。
そんなことあたり前だと思う方がほとんどだと思いますが、
それができないからひきこもっている、
自信のなさとエネルギー切れが原因だと考えています。
小さな事が出来た、それを見逃さずに褒める、
そしてこれができたら次はこれをやろうと、先を急がないで見守る。
できそうですが親にすると難しい課題になります、
ついつい焦って物事を進めてしまい、元の木阿弥。
自己肯定感はストレッチと同じで、関節や筋肉の可動範囲を
広げることだと考えています。
まず、ストレッチをやろうと思うことを褒めて、
無理せずに曲がるところまでを続けて、
少しずつ曲がるところを増やしていくしかないように思います。
日常会話の中ではあまり出てこない言葉です。
自信と読み替えても意味はそれほど違わないように思います。
えこーで相談を受けていて感じるのは、この自己肯定感が著しく欠如した人が、
ひきこもり・不登校の当事者には多いということです。
自信過剰は問題ですが、自信がないのはもっと問題だと考えています。
「自分にはできない」この否定形から「できるかな」の疑問形になるまでに
時間がかかりますし、「やってみようかな」という気持ちから
実際に動き出すまでにも時間を要します。
ここで親や周囲の人から「何をもたもたしてるの、さっさとやりなさい」・・・
これは鋭利な刃物です。
再び、自分にはできないに戻ってしまいます。
人と話すのが苦手、人と会うのが怖い、ここから孤立が始まります。
家族との会話も極端に少ない人にとって、
外で誰かに会うということが大きな負担になります。
電話も嫌い、電車に乗るのも怖い、こうした人も少なくありません。
人間関係がうまく構築できないので、友だちと呼べる人が極端に少なく、
いても幼稚園の頃、仲がよかったという話が多く交流も時々しかなく、
高校やそれ以上になっての友だちはいないのが普通です。
えこーの面談では、褒めることはあってもお世辞は言いません
成人した大人が一人で医者に行けた・・・すごいですね。
昼夜逆転の子どもが、朝8時に起きられた・・・すごいですね。
そんなことあたり前だと思う方がほとんどだと思いますが、
それができないからひきこもっている、
自信のなさとエネルギー切れが原因だと考えています。
小さな事が出来た、それを見逃さずに褒める、
そしてこれができたら次はこれをやろうと、先を急がないで見守る。
できそうですが親にすると難しい課題になります、
ついつい焦って物事を進めてしまい、元の木阿弥。
自己肯定感はストレッチと同じで、関節や筋肉の可動範囲を
広げることだと考えています。
まず、ストレッチをやろうと思うことを褒めて、
無理せずに曲がるところまでを続けて、
少しずつ曲がるところを増やしていくしかないように思います。
Posted by いとう茂 at 15:35│Comments(0)