2023年04月08日

28回目の命日

今年の桜は散りましたが、親父がなくなった平成7年の4月6日は花が咲いていました。
病室からは琵琶湖と膳所公園が眺められ、淡いピンクの塊がいくつも見えていました。
阪神淡路大震災の翌日に最後の入院、そこから三月足らずの命でした。
生きている時は、親父の背中がすぐ前にあり、
すぐに親父を追い越せると感じていましたが、
亡くなって時間が経つにつれて親父の背中がどんどん遠くなる、そんな思いがあります。
入退院を何度繰り返したのか、親父を含めて家族のだれも覚えていません。
病室で何を考えていたのか、聞いてみたいと思ったこともありましたが、
聞けずじまいに終わりました。
自分の病気のこと、家族のこと、人生について、そんなことを考えていたのでしょうか、
考える時間はいっぱいあったと思いますが、手記や日記のたぐいは残っていませんでした。
昨年に親父と同じ年になり、あと5か月もすれば親父が生きた日数を抜くことになります。
もしかすると私が生きているこの日に、親父は自分の命が尽きることを感じていたかもしれません。
息子の私はと言えば、
体力の衰えは感じても死について何か考えたりということはほとんどありません。
次の献血はいつにしょうか・・・能天気そのものです。
苦がないわけではありませんが、
毎日が時間との勝負で苦だけでなく楽もゆっくり味わう暇がないのが現状です。
それでもこうして健康で毎日を過ごせている、これは幸せなことだと実感しています。
ひきこもり・不登校の相談窓口のボランティアをしている、親父にそう言ったら何と言うでしょう。
仏壇の前で手を合わせて、そんな話をしましたが高い所から声は聞こえてきませんでした・・・・。

Posted by いとう茂 at 10:44│Comments(0)
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