2023年11月08日
人を支えるもの②
昨日のブログの続きです。
人を支えるものとして、自分だけの時間、人間関係、達成・目標の
三本柱がありますが、日本人は最後の達成・目標の柱が太いと言いました。
このことについて、ぼんやり考えていて思い当たることが出てきました。
日本人は勤勉、努力を重んじる民族であるということ、しかし、
その傾向も時代とともに変化が出てきていますが・・・・。
イソップ物語で日本人の好きな物語と言えば、「北風と太陽」
「アリとキリギリス」は必ず入るように思います。
日本の昔話で上位にランクインするのは、ウサギと亀ではないでしょうか。
アリとキリギリスは、せっせと働くアリといつも遊んでいたキリギリスの話で、
冬になって食べ物がなくなってキリギリスが、アリに食べ物を乞いますが、
遊んでばかりいたキリギリスにアリは食べ物を与えませんでした。
アリに達成・目標のために、働く時間だけでなく、
自分だけの自由な時間があれば、キリギリスのように鳴く練習をしたかもしれません。
キリギリスも自分の時間だけでなく、働いて食べ物を集めるという目標があれば、
寒くなって死んでしまうこともなかったでしょう。
しかしそれではイソップ物語にはなりません。
日本のウサギと亀も、亀にウサギを起こしてやる優しさがあれば、
違う物語になっています。
北風と太陽も、アリとキリギリス、ウサギと亀も設定は友好的な関係ではなく、
敵対に近い関係になっています。
つまり人間関係がうまくいっていなかった、自分が苦労して集めた食べ物を、
何もしていないキリギリスにどうして分けなくてはいけないのか、
いつも足が遅いのろまだと馬鹿にされてきたのに、
どうして寝ているウサギを起こさなくてはいけないのか、
両者はそんな気持ちだったのかも知れません。
たとえ、飢え死にしても自業自得だとアリは考えていたのだと思います。
亀にしてもここで勝たないと一生ウサギには勝てない・・・
それを目先の利益と言うかは別にして、ウサギを起こさなかった。
つまり、達成・目標と言う柱のために、人間関係を犠牲にしています。
アリにも亀にも自分だけの時間はありません。
三本柱の一本だけしか持たない設定だから、
日本人が自分をアリや亀に投影して共感するのか。
そうした心情の中から、困った時はお互い様、といった徳の気持ちは生まれるのか・・・・。
人を支えるものとして、自分だけの時間、人間関係、達成・目標の
三本柱がありますが、日本人は最後の達成・目標の柱が太いと言いました。
このことについて、ぼんやり考えていて思い当たることが出てきました。
日本人は勤勉、努力を重んじる民族であるということ、しかし、
その傾向も時代とともに変化が出てきていますが・・・・。
イソップ物語で日本人の好きな物語と言えば、「北風と太陽」
「アリとキリギリス」は必ず入るように思います。
日本の昔話で上位にランクインするのは、ウサギと亀ではないでしょうか。
アリとキリギリスは、せっせと働くアリといつも遊んでいたキリギリスの話で、
冬になって食べ物がなくなってキリギリスが、アリに食べ物を乞いますが、
遊んでばかりいたキリギリスにアリは食べ物を与えませんでした。
アリに達成・目標のために、働く時間だけでなく、
自分だけの自由な時間があれば、キリギリスのように鳴く練習をしたかもしれません。
キリギリスも自分の時間だけでなく、働いて食べ物を集めるという目標があれば、
寒くなって死んでしまうこともなかったでしょう。
しかしそれではイソップ物語にはなりません。
日本のウサギと亀も、亀にウサギを起こしてやる優しさがあれば、
違う物語になっています。
北風と太陽も、アリとキリギリス、ウサギと亀も設定は友好的な関係ではなく、
敵対に近い関係になっています。
つまり人間関係がうまくいっていなかった、自分が苦労して集めた食べ物を、
何もしていないキリギリスにどうして分けなくてはいけないのか、
いつも足が遅いのろまだと馬鹿にされてきたのに、
どうして寝ているウサギを起こさなくてはいけないのか、
両者はそんな気持ちだったのかも知れません。
たとえ、飢え死にしても自業自得だとアリは考えていたのだと思います。
亀にしてもここで勝たないと一生ウサギには勝てない・・・
それを目先の利益と言うかは別にして、ウサギを起こさなかった。
つまり、達成・目標と言う柱のために、人間関係を犠牲にしています。
アリにも亀にも自分だけの時間はありません。
三本柱の一本だけしか持たない設定だから、
日本人が自分をアリや亀に投影して共感するのか。
そうした心情の中から、困った時はお互い様、といった徳の気持ちは生まれるのか・・・・。
Posted by いとう茂 at 16:18│Comments(0)