2024年03月22日
「原爆の図」より⑧
丸木位里さんと丸木俊さんの作品の説明文の紹介の続きです。
救出 第八部
いつまでも火は燃えつづけておりました。
ようやく身よりの人を捜しては連れて帰りました。
けれど、途中でこときれていきました。
配給があるというので行列がつづきました。
乾パンを抱いたまま、娘は死んでいきました。
わたくしたちの妹のむこの両親は、二人ともガラスの破片が全身にささっていました。
足首もももも、同じ太さにはれていました。
わたしたちのところに避難していましたが、長男のところへ連れて行くことになりました。
荷車にのせて引いて行きました。
爆心地を通って海田市まで行きました。
しとしと、雨の降る日でした。
原爆のあと、広島ではよく雨が降りました。
八月というのに寒いような日が続きました。
本当は、「かあさんごめんなさい」といって逃げてきたんですと、泣いている人がいます。
妻は夫を、夫は妻を、親は子を捨てて逃げまどわなければなりませんでした。
救出がはじまったのはしばらくしてからのことです。
救出 第八部
いつまでも火は燃えつづけておりました。
ようやく身よりの人を捜しては連れて帰りました。
けれど、途中でこときれていきました。
配給があるというので行列がつづきました。
乾パンを抱いたまま、娘は死んでいきました。
わたくしたちの妹のむこの両親は、二人ともガラスの破片が全身にささっていました。
足首もももも、同じ太さにはれていました。
わたしたちのところに避難していましたが、長男のところへ連れて行くことになりました。
荷車にのせて引いて行きました。
爆心地を通って海田市まで行きました。
しとしと、雨の降る日でした。
原爆のあと、広島ではよく雨が降りました。
八月というのに寒いような日が続きました。
本当は、「かあさんごめんなさい」といって逃げてきたんですと、泣いている人がいます。
妻は夫を、夫は妻を、親は子を捨てて逃げまどわなければなりませんでした。
救出がはじまったのはしばらくしてからのことです。
Posted by いとう茂 at 11:58│Comments(0)