2024年08月08日
暑中見舞い
時々取引先から暑中見舞いが届くことがあります。
裏も表も印刷ですが、それでも丁寧な取引先だと思ってしまいます。
思い返すと3・40年前までは個人で暑中見舞いを出していました。
それも両面手書きでした。
海の日、山の日と夏場に祝日が増えたのに、個人で暑中見舞いを出すこともなくなりました。
これはどうしたことだろう、面倒だからなのかゆとりがなくなったのか、風情と言う心のひだが消えてしまったのか。
そう言えばお気に入りのモンブランは今年に入って使った記憶がないし、文字を書く習慣がいつの間にか文字を打つ習慣に変化している。
これでは疎遠になるはずだ、ガラケーではラインも送れない。
それでも文具店に行くとつい便箋に目が行くのはどうしてだろう。
探せば便箋も10冊くらいはあるはず、他にも一筆箋も何冊か出てきそう。
白紙でそっとしておくのがいいのか、拙い文字で汚す方がいいのか、そうした選択肢すら浮かばずに本棚の隅でホコリをかぶっているのだろう。
今から書き始めると残暑見舞いになるけれど、それでも今年は便箋で残暑見舞いを書いてみよう。
そうでもしないと書くことを忘れてしまいそうで、行間からにじみ出る何かも忘れてしまう。
裏も表も印刷ですが、それでも丁寧な取引先だと思ってしまいます。
思い返すと3・40年前までは個人で暑中見舞いを出していました。
それも両面手書きでした。
海の日、山の日と夏場に祝日が増えたのに、個人で暑中見舞いを出すこともなくなりました。
これはどうしたことだろう、面倒だからなのかゆとりがなくなったのか、風情と言う心のひだが消えてしまったのか。
そう言えばお気に入りのモンブランは今年に入って使った記憶がないし、文字を書く習慣がいつの間にか文字を打つ習慣に変化している。
これでは疎遠になるはずだ、ガラケーではラインも送れない。
それでも文具店に行くとつい便箋に目が行くのはどうしてだろう。
探せば便箋も10冊くらいはあるはず、他にも一筆箋も何冊か出てきそう。
白紙でそっとしておくのがいいのか、拙い文字で汚す方がいいのか、そうした選択肢すら浮かばずに本棚の隅でホコリをかぶっているのだろう。
今から書き始めると残暑見舞いになるけれど、それでも今年は便箋で残暑見舞いを書いてみよう。
そうでもしないと書くことを忘れてしまいそうで、行間からにじみ出る何かも忘れてしまう。
Posted by いとう茂 at 10:48│Comments(0)