2024年09月08日
日曜日の読書から
毎週日曜日を読書の日として、1年余りになります。
再読ばかりですが、初読の記憶がほとんどないものもあり、歩留まりの悪さを感じるとともに、忘却の早さに驚いています。
ここまで何冊の本が読めたのかは分かりませんが、冊数ではなく内容を重視して読みたいと思います。
ここから何回かに分けて、これまで読んできた本の中から印象に残ったものを紹介します。
せめて紹介したものだけでも頭に残るように・・・・。
安岡正篤 照心語録より
・現実に対する虚無の中から真実をうち出そうとする、
これを立志という。
これが真の意味での理想をもつということだ。
・雑然たる大衆の中からは何らの価値あるもの生まれてこない。
人間の真実の価値は、全て個人の深遠な内面から発してくるものだ。
・人を観るときは前よりも後ろから観るがよい。
後ろはごまかせないからだ。
だから後姿の淋しいというのは何よりもよくない。
逆に立派だといわれるようになれば、人間もできたというものだ。
・凡と非凡のわかれる所は能力の如何ではない。
精神であり感激の問題だ。
再読ばかりですが、初読の記憶がほとんどないものもあり、歩留まりの悪さを感じるとともに、忘却の早さに驚いています。
ここまで何冊の本が読めたのかは分かりませんが、冊数ではなく内容を重視して読みたいと思います。
ここから何回かに分けて、これまで読んできた本の中から印象に残ったものを紹介します。
せめて紹介したものだけでも頭に残るように・・・・。
安岡正篤 照心語録より
・現実に対する虚無の中から真実をうち出そうとする、
これを立志という。
これが真の意味での理想をもつということだ。
・雑然たる大衆の中からは何らの価値あるもの生まれてこない。
人間の真実の価値は、全て個人の深遠な内面から発してくるものだ。
・人を観るときは前よりも後ろから観るがよい。
後ろはごまかせないからだ。
だから後姿の淋しいというのは何よりもよくない。
逆に立派だといわれるようになれば、人間もできたというものだ。
・凡と非凡のわかれる所は能力の如何ではない。
精神であり感激の問題だ。
Posted by いとう茂 at 20:03│Comments(0)