2012年11月18日
逸話 伝説②
久しぶりの休日?
本当に今日一日なにも用事がなかったかな。
ごめんなさい。
本日休業です。
チョットほっこりしたいので・・・。
滋賀の冬を味わってきます。
以前、テレビで京都の東寺のことを取り上げていました。
東寺の対として西寺というのがあったそうです。
今は公園というかただの広場のようになっていましたが。
雨が降らない日が続き人々が困っているときに
朝廷が西寺のお坊さんに雨乞いの祈祷をさせるのですが、
一週間祈祷を続けても雨が降らず、
ついで、東寺のお大師さんに祈祷をさせます。
伝説に近い話ですので信憑性はありませんが、
お大師さんが祈祷をしても雨が降らない。
神通力があったとされるお大師さんが見通すと
どうやら西寺のお坊さんが天に入り雨の神を
追い払って邪魔をしているようで、
インドの神に頼みお願いをすると、にわかに
空が曇り雨が降り出したという話でした。
そのことが原因で西寺は力を失ったとされています。
伝教大師と弘法大師、日本を代表する
平安時代の高僧ですが、二人が同じ時期に遣唐使として
中国に渡ったことは案外知られていません。
最澄の方が僧としての位はずっと上で、遣唐使として中国に
わたるという話を空海が聞き、自分もと思うわけですが、
その時、空海は正式な僧ではありませんでした。
そこで、猛勉強をし東大寺で得度をして僧になるわけです。
最澄が遣唐使として中国に渡る船は、結局、嵐で
出航できず、空海は次の遣唐使として間に合い、
最澄と一緒に中国に渡ります。
一緒と言っても乗り込む船は別々で、中国に向かう船も
二隻ではなかったようです。
ところが、航海の途中で嵐に遭い、最澄と空海が乗った
船以外は日本に引き返すか嵐に巻き込まれて沈み
中国には二隻だけが着きます。
ここでも何か因縁めいたものを感じますが、
空海の船は目的地の長安から南に約3000キロほど
離れた港に着いたようです。
ここから長安に着くまでにも空海はいろいろな苦労を
しながら、何とか長安に着きます。
元々僧としての位は月とすっぽんほど違いました、
今でいうと政府の高官と留学生のようなものです。
滞在期間も公式訪問と勉学に行く学生ほど違いましたが、
結果、空海は恵果和尚から真言密教を受け継ぎ、
留学期間を残して、早々に日本に帰ってきます。
帰国後は最澄とも交流があり、位の高い最澄が
空海に弟子入りをしています。
その後、最澄の弟子が空海に傾倒したり
実践派の空海と理論派の最澄との間に
修復不可能な溝ができ二人は別々の道を歩むことになります。
最澄のいた延暦寺からは鎌倉仏教の代表ともいえる
日蓮、法然、親鸞などそうそうたる名僧が出ていますが、
空海の教えをついで名僧と言われる人はいません。
にもかかわらずお大師さんと言われるのは伝教大師ではなく
弘法大師であることが世の中の妙かも知れません。
大津市民として大津市出身の最澄の評価がもう少し上がらないのか
そのことが悔しくもあり歯がゆい思いでなりません。
本当に今日一日なにも用事がなかったかな。
ごめんなさい。
本日休業です。
チョットほっこりしたいので・・・。
滋賀の冬を味わってきます。
以前、テレビで京都の東寺のことを取り上げていました。
東寺の対として西寺というのがあったそうです。
今は公園というかただの広場のようになっていましたが。
雨が降らない日が続き人々が困っているときに
朝廷が西寺のお坊さんに雨乞いの祈祷をさせるのですが、
一週間祈祷を続けても雨が降らず、
ついで、東寺のお大師さんに祈祷をさせます。
伝説に近い話ですので信憑性はありませんが、
お大師さんが祈祷をしても雨が降らない。
神通力があったとされるお大師さんが見通すと
どうやら西寺のお坊さんが天に入り雨の神を
追い払って邪魔をしているようで、
インドの神に頼みお願いをすると、にわかに
空が曇り雨が降り出したという話でした。
そのことが原因で西寺は力を失ったとされています。
伝教大師と弘法大師、日本を代表する
平安時代の高僧ですが、二人が同じ時期に遣唐使として
中国に渡ったことは案外知られていません。
最澄の方が僧としての位はずっと上で、遣唐使として中国に
わたるという話を空海が聞き、自分もと思うわけですが、
その時、空海は正式な僧ではありませんでした。
そこで、猛勉強をし東大寺で得度をして僧になるわけです。
最澄が遣唐使として中国に渡る船は、結局、嵐で
出航できず、空海は次の遣唐使として間に合い、
最澄と一緒に中国に渡ります。
一緒と言っても乗り込む船は別々で、中国に向かう船も
二隻ではなかったようです。
ところが、航海の途中で嵐に遭い、最澄と空海が乗った
船以外は日本に引き返すか嵐に巻き込まれて沈み
中国には二隻だけが着きます。
ここでも何か因縁めいたものを感じますが、
空海の船は目的地の長安から南に約3000キロほど
離れた港に着いたようです。
ここから長安に着くまでにも空海はいろいろな苦労を
しながら、何とか長安に着きます。
元々僧としての位は月とすっぽんほど違いました、
今でいうと政府の高官と留学生のようなものです。
滞在期間も公式訪問と勉学に行く学生ほど違いましたが、
結果、空海は恵果和尚から真言密教を受け継ぎ、
留学期間を残して、早々に日本に帰ってきます。
帰国後は最澄とも交流があり、位の高い最澄が
空海に弟子入りをしています。
その後、最澄の弟子が空海に傾倒したり
実践派の空海と理論派の最澄との間に
修復不可能な溝ができ二人は別々の道を歩むことになります。
最澄のいた延暦寺からは鎌倉仏教の代表ともいえる
日蓮、法然、親鸞などそうそうたる名僧が出ていますが、
空海の教えをついで名僧と言われる人はいません。
にもかかわらずお大師さんと言われるのは伝教大師ではなく
弘法大師であることが世の中の妙かも知れません。
大津市民として大津市出身の最澄の評価がもう少し上がらないのか
そのことが悔しくもあり歯がゆい思いでなりません。
Posted by いとう茂 at 10:16│Comments(0)