2013年07月26日

控室の本より⑨

「暗いままの明るさ」に生きよ

主婦であるK子さんの話をしましょう。
毎週開かれている私のある講座にいつも影のごとく来て、
影のごとく去っていく女性でしたが、あるとき、
こんなことを問い詰めてきました。

「先生、私は死にたくなりました。もう生きていても
目の前が真っ暗で生きていくことが辛いんです。
こんな状態でも死んではいけないんでしょうか」

K子さんは、子宮がんと誤診されて宿していた子供をおろしたうえに、
抗がん剤の副作用で目が不自由となり、髪の毛も抜け、
余命もそれほどないとのことでした。

しかし夫がよく愛してくれるだけに、彼に自分のみじめな姿を見せたくない、
と思い詰めて自殺を考え始めたようでした。

私が「死んではなにもなりませんよ」と言うと、彼女は
「なぜ死を選んではいけないのですか!書いてください、
ここに理由を書いてください」と、
私の目の前に紙を突き付けて迫ってきたのです。

私はとっさのことで何を書こうかと迷いましたが、
詠み人知らずの古い俳句を書きました。

磯までは海女も蓑着る時雨かな

彼女はこの俳句をじっと見つめていました。
私は次のように説明したのです。

海女さんは海へ入って貝を採るのが仕事ですから、
体は濡れてしまうのです。
しかし、どうせ濡れると分かっていても雨の日は海辺まで蓑を着て、
自分の体を大切にするのです。
厳しい仕事が待っているからこそ、ギリギリまで
体をいたわり守ろうとしているのです。
「あなたも自分の体を大切にして、
最後のその日まで一所懸命に生きなくちゃだめだ」
そう言うとK子さんは声を上げて泣き始め、
「残酷です」と、より一層大きな声を上げて泣き崩れました。

ところが、K子さんはその俳句を何日も見続け、読み続けたそうです。
やがて、彼女が再び訪ねてきて、
「私、九十いくつかの寄る辺のない、寝たきり老人の
ヘルパーになろうと思うんですけど、どうでしょう」
と、相談してきたのです。
聞けば、そのご老人も前途を悲観して自殺を企てたそうですが、
未遂だったのです。

「生きている間は、自分にできると思うことは、
どんな小さなことでもやってみることです」
と、私はK子さんにヘルパーになることを勧めました。
彼女は40代で、相手のご老人は90歳を超えているのですから、
親子ほどの年齢の開きがあります。

死を決意したほどのご老人ですから、生活態度は暗いのです。
彼女が話しかけても、何しに来た、というすげない態度で
取りつく島がありません。

でもK子さんは根気よく通い続けて助言しました。
やがて半年ほどして年が明けて正月が来ました。
すると、その寝たきり老人から年賀状が届いたのです。

彼女はよほどうれしかったのでしょう、私にも見せてくれました。
ご老人は不自由な片手で絵を描き、しかも一言書き添えていました。
「あなたのお蔭でやっと(おめでとう)が言えるようになりました、ありがとう」
K子さんも、この年賀状を機に大変明るくなったのです。

K子さんは自分の「死」という「自分の力ではどうにもならないこと」
をどうにかしたいと焦るあまり、自殺を思い詰めました。
しかし、どうにもならないことを、より高い次元でどうにもならない、
と認識できたら、そこから自分でなければできない
自分の生きる道を創造することができるものです。

人生とは暗い側面を持っています。
しかし、だからと言って、逃避したりごまかしながら生きても空しいだけです。
「暗さ」をどこまでも見つめることによって、「暗いままの明るさ」を
見つけることができるはずです。

「般若心経」は、明るいままの明るさという単調な明るさではなく、
「『暗いままの明るさ』に生きよ」と呼びかけているのです。

松原泰道 「足るを知る」こころ より

Posted by いとう茂 at 13:00│Comments(0)
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