2013年11月08日
ありがとう
宮城県の河北新報社が「ありがとう」というテーマで
詩を募集し、気仙沼市から小学5年生の男の子の
作品が入賞しました。
昨日、委員会が終わって議会サロンに行くと見慣れない
冊子がありましたので手にしましたが文字が小さくて
一旦は戻したのですが、タイトルが気になり拡大して
読みました、50ページ足らずの冊子でしたのでそれほど時間もかからず
読み進み、最後のページで出会った詩です。
地方行財政調査会が1年に3度発行している講演シリーズで、
タイトルが「いま被災地から訴えたいこと」となっており、
前気仙沼市危機管理官が講演した記録です。
防災について気付かされることや教えられることはたくさんありました。
まさに、人間万事塞翁が馬で命が助かった人、義を見てせざるは勇無きなりで
命を落とした人の話も盛り込まれていますし、救援物資が届くまで
どう生きながらえるか、津波避難ビル、過去の大地震の教訓が活きた地域、
思い込みで被害が大きくなった地域等、経験をもとに語られた内容は
心にも身にも沁み込みました。
「ありがとう」 面瀬小学校 5年 菊田 心
文房具ありがとう
えんぴつ、分度器、コンパス大切にします。
花のなえありがとう お母さんとはちにうえました。
花の咲くのがたのしみです。
うちわありがとう あつい時うちわであおいでいます。
くつをありがとう
サッカーの時とってもけりやすくて、いっしょうけんめい走っています。
クッキーありがとう 家でおいしく食べました。
さんこう書ありがとう 勉強これからもがんばります。
図書カードありがとう 本をたくさん買いました。
やきそば作ってくれてありがとう おいしくいっぱい食べました。
教室にせん風機ありがとう これで勉強はかどります。
応えんの言葉ありがとう 心が元気になりました。
最後に おじいちゃん見つけてくれてありがとう
さよならすることができました。
以前に掲載しました山田町の作文もそうですが、
真っ直ぐな気持ちで書かれた言葉がまっすぐ心に
突き刺さります。
ただ、震災から2年半余り、この詩が書かれたのは
1年ほど前ですから実質1年半余り、それだけの時間で
おじいさんと文房具、花のなえなどへの感謝が
同列の出来事になったのかという疑問があり何度か
読み返しました。
自分なりに出した結論はこの男の子が書きたかったのは
最後の2行ではなかったのか、おそらく死というものと向き合ったのは
生まれて初めてのことだったと思います。
突然の出来事で昨日まで元気な人が行方不明になり、
平和な日常から訳の分からない非日常、そして訳の分からないことが
当たり前の日常になったことは想像できます。
不安と心配の日々で子供の心にどんな変化があったのか、
大人でも何か理由をつけて諦めようとするでしょう。
諦めても諦めても思い出してしまう現実。
くつやうちわをもらってうれしかった自分の心を確認して
おじいさんのことを忘れようとしながら、くつやうちわに
おじいさんを見ている自分を見つけていたのかも知れません。
死は善でも悪でもなく必然です。
ゆるやかな死も突然の死も、死に変わりはありません。
日常の中で死を意識することで生への執着とか感謝が生まれてくる
そんな詩とは言えないでしょうか。
詩を募集し、気仙沼市から小学5年生の男の子の
作品が入賞しました。
昨日、委員会が終わって議会サロンに行くと見慣れない
冊子がありましたので手にしましたが文字が小さくて
一旦は戻したのですが、タイトルが気になり拡大して
読みました、50ページ足らずの冊子でしたのでそれほど時間もかからず
読み進み、最後のページで出会った詩です。
地方行財政調査会が1年に3度発行している講演シリーズで、
タイトルが「いま被災地から訴えたいこと」となっており、
前気仙沼市危機管理官が講演した記録です。
防災について気付かされることや教えられることはたくさんありました。
まさに、人間万事塞翁が馬で命が助かった人、義を見てせざるは勇無きなりで
命を落とした人の話も盛り込まれていますし、救援物資が届くまで
どう生きながらえるか、津波避難ビル、過去の大地震の教訓が活きた地域、
思い込みで被害が大きくなった地域等、経験をもとに語られた内容は
心にも身にも沁み込みました。
「ありがとう」 面瀬小学校 5年 菊田 心
文房具ありがとう
えんぴつ、分度器、コンパス大切にします。
花のなえありがとう お母さんとはちにうえました。
花の咲くのがたのしみです。
うちわありがとう あつい時うちわであおいでいます。
くつをありがとう
サッカーの時とってもけりやすくて、いっしょうけんめい走っています。
クッキーありがとう 家でおいしく食べました。
さんこう書ありがとう 勉強これからもがんばります。
図書カードありがとう 本をたくさん買いました。
やきそば作ってくれてありがとう おいしくいっぱい食べました。
教室にせん風機ありがとう これで勉強はかどります。
応えんの言葉ありがとう 心が元気になりました。
最後に おじいちゃん見つけてくれてありがとう
さよならすることができました。
以前に掲載しました山田町の作文もそうですが、
真っ直ぐな気持ちで書かれた言葉がまっすぐ心に
突き刺さります。
ただ、震災から2年半余り、この詩が書かれたのは
1年ほど前ですから実質1年半余り、それだけの時間で
おじいさんと文房具、花のなえなどへの感謝が
同列の出来事になったのかという疑問があり何度か
読み返しました。
自分なりに出した結論はこの男の子が書きたかったのは
最後の2行ではなかったのか、おそらく死というものと向き合ったのは
生まれて初めてのことだったと思います。
突然の出来事で昨日まで元気な人が行方不明になり、
平和な日常から訳の分からない非日常、そして訳の分からないことが
当たり前の日常になったことは想像できます。
不安と心配の日々で子供の心にどんな変化があったのか、
大人でも何か理由をつけて諦めようとするでしょう。
諦めても諦めても思い出してしまう現実。
くつやうちわをもらってうれしかった自分の心を確認して
おじいさんのことを忘れようとしながら、くつやうちわに
おじいさんを見ている自分を見つけていたのかも知れません。
死は善でも悪でもなく必然です。
ゆるやかな死も突然の死も、死に変わりはありません。
日常の中で死を意識することで生への執着とか感謝が生まれてくる
そんな詩とは言えないでしょうか。
Posted by いとう茂 at 12:25│Comments(0)