2016年09月28日

見えない時間・見えない世界

夫婦でも親子でも、どんなに親しい、また近い人でも
こちらには見えない時間や見えない世界があります。
その人が信用できないとか罪を犯しているという
ことではなく、普通の日常生活を送っている中で
見えない時間、世界は存在するでしょう。
すべてを把握していないといけないということでは
ありませんし、把握できるものでもありません。
それに、こちらにも誰かから見ると見えない時間や世界が
存在しているのですからお互いさまといえばそれまでです。

いじめや虐待も周囲には見えない時間や世界があるから
起こるのでしょうし、久しぶりに見る親せきや友人の子どもが
大きくなっていて驚かされるのも見えない時間のなせる業かも
知れません。

不信感とかがなくても見えない時間や世界を知ろうとする
気持ちは思いやりや心配から出るものですが、半面、
管理、束縛といった自由の制限にもつながります。
子どもが何をしているか、恋人がどこに行っているか、
そんなことを知ろうとして思わぬあつれきや反発があることは
よくあることです。

何もかも信用して何も聞かないことは、時には無責任、放任といった
批判を受けることがありますし、取り返しのつかない結果になることも
あります。
「信じているから見えないものを見ようとする」「大切に思っているから
教えてほしい」。
自分が安心したいからというのではなく、相手に自分のことをちゃんと
見てくれている、自分のことを心配していてくれる、大事に思って
くれているんだ、そうした信頼感を得るためにも、見えない時間や
世界のことを、恐る恐るでも尋ねることは時々、必要なことだと感じるのは
私一人ではないと思うのですが・・・・・・。

Posted by いとう茂 at 18:09│Comments(0)
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