2017年03月29日

健さんを覚えていますか

いつも持っているカバンについているお守りを見ていて
高倉健さんを思い出しました。
2014年11月10日、もう2年半近くになります。
亡くなられた当時は写真集、週刊誌の特集、DVD、テレビの
追悼番組と、賑やかでしたが今ではそれも影を潜めて
日常に戻っています。
それでいいのでしょうが、自分の中では切ない思いがありますので、
過去のブログの再掲載です。

ウサギのお守り

人が人を傷つけるとき、自分が一番大事に想う人を、
いやむしろとっても大切な人をこそ、
深く傷つけたような気がする。
この人はかけがいのない人なんだ、
もうこんな人には二度と出逢えないぞと想うような人に限って
深く傷つけているんですねぇ。

傷つけたことで深く自分も傷ついてしまう。
そしていつの頃からか、本当にいい人、のめりこんで
いきそうな人、本当に大事な人と思う人からは
できるだけ遠ざかって、キラキラしている思いだけを
ずっと持っていたいと考えるようになっていますね。
くっつかなければ別れる事はない。
全然その人と会うことはできない電話すらできなくても
自分の胸の想いというのは、全くなにかタイムカプセルにでも
入ったように変わらないのですよね。

人には、それぞれ、いろいろなしがらみとか事情とかあって。
そのときは自分はこうですと言えないというのがありますよね。
何年かたったとき、今なら言えるんだけどと思うこともあるんですが、
時の流れが早すぎて、向うはもう切り替えて違うパートナーを
探してるとかですね難しいですね。世の中。

男と女の話を語る資格が、僕にはありませんが、
でも女性を想わないわけではないんです。
うまくいかなかったことがみんな嫌な思い出かというと
そうでもなくて、うまくいってない、
いやいかなかったんだけどちょっとした瞬間、
昔よく聴いた曲とか、立ち止まった景色とか、
目をつぶって思い出すとジンとしてくることがあるんです。

そしてこれからお話をするそのウサギのお守りは、
ある人からのお土産でした。
その人が海外へ出たとき、空港の売店で買ってきたものだという。
このお守りをその人が僕だけに買ってくれたものなのか
それとも何本も買ってそううちの一つを僕に
くれたものなのか、僕は知らない。
でも僕にとってそれは

ただのお守りとはどうしても思いたくなかった。
いつも身近なところに置いておきたいと思っていつも使うカバンに取り付けた。
どんな丈夫な毛皮でも毛がぬける。
それがたまらなく勿体なくて、考えたあげく、
お守りをすっぽり包むカバーを
皮革屋さんに頼んで作ってもらった。

何をやっているのか、めめしいことをして、と
自分自身可笑しくも思った。
でもそのときは、ただの一本の毛もその人の気持ちを
減らすような気がして惜しかった。

そのウサギの女性となんとかなりたいなんて思って、
そのお守りを持ち歩いてるわけではないのです。
ええ、そのかけらもないんですよ、そんな気持ち。

でもあのときのあれをもらったときの僕の想いは
僕にとっては宝石のように
キラキラしているということです。
アメリカ、ヨーロッパ、南極、北極、アラスカ、アフリカ五カ国、
辺境の国々への数十回を越す旅で、乗った飛行機の
離着陸する瞬間などは、無意識のうちに
そのお守りを握りしめたりして、ずいぶん一緒に旅をしました。

そんなに大切にしていたものなのに1990年の7月、
映画祭で中国へ行ったとき、失くしてしまいました。
自然に取れてしまったのか、誰かが持っていったのか、
あんなもの盗る人はいないはずだから、落としたに違いない
懸賞金をつけるから探してください、などと
同行の人たちに冗談めかして頼んだがついに出てこなかった。

そういうことなんですね。
自分でもどうにもできない心。
・・・人を想うということは。

愛するということは、その人と自分の人生を
いとおしく想い、大切にしていくことだと思います。

幸福の黄色いハンカチの北海道ロケに僕が山田洋次監督に
愛するということはどういうことでしょうかと、その質問に対する答えでした。









Posted by いとう茂 at 22:41│Comments(0)
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