2017年04月06日

平成7年4月6日

22年前の今日、親父が他界しました。
正確には今日の夕方6時過ぎの事で、おふくろと、弟と私の
3人に看取られての事でした。
「もう帰ってや、上を向くわ」それが最後の言葉で断末魔の
苦しみもなく、心臓発作であっけなく帰らぬ人となりました。

私が本厄の年で、5月には伯母が亡くなり親父の百か日は
祖母の告別式の日と重なりました。
年明けの2月には義父が他界して、前厄と後厄を含めた3年間で
ごく親しい身内の葬式が5件続きました。
周囲からは「これだけ殺したらお前は長生きするわ」そんなタメ口も
聞こえてきました、まだ長生きという域には達していませんが、
大きな病気もなくここまでこれたのと因果関係があるのかは
定かではありません。

今年の桜は例年に比べて少し咲く時期が遅いようですが、あの時は
はらはらと散っていたように思います。
告別式は9日の日曜日に行いました、当日は土砂降りの雨で
式に参列していただいた方は身を寄せるようにテントの中で
手を合わせて、お見送りをしておられました。
そして、この日は統一地方選挙の県議会議員の投票日でもありました、
馴染みの候補が数票差で落選し、支持者の方からは「お前のところが
投票に行っていないから落選した」と言われて辛い思いをした記憶もあります。
確かに、家族や親族が投票に行っていれば落選せずにすんだのかも
知れませんが、これもめぐり合わせ、ご縁がなかったと思っています。

祖父が78歳、親父が68歳で亡くなりましたので、私の寿命は58歳と
決めていましたが、その年齢も過ぎ親父の年齢が視野に入ってきました。
あの世で親父は何をしているのか、何を考えているのか、想像は
膨らみますが、実際には伝わってきません。
残すのも伝えるのも生きている間にしかできません、児孫に美田を買わず、
西郷隆盛の言を借りるまでもなく、財産を残すことは不可能に近いことですが
そろそろ、残すもの伝えるものを考えなければいけない時期に来ている
ように思いますが、それがいいことかどうかも考える必要があると
思っています。
4月6日は語呂合わせで城の日だそうです、そして同じく語呂合わせで
白の日でもあります。
残された者には残された者の人生があります、それぞれが自由に
思い思いの人生を送るためには何も残さず、制限がない方が
いいように思います。

Posted by いとう茂 at 13:19│Comments(0)
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