2018年08月09日
広島そして長崎
今日は広島に続いて73年前に長崎に原爆が投下された
日です。
私ももちろん生まれていませんし、日本人の半数以上がこの世に
生を授かる前の出来事でした。
広島の慰霊祭に続いて長崎でも慰霊祭が開催され、遺族や
その家族が参列し、亡くなられた方の御霊を追悼されていました。
市役所のサロンでも世界大戦の平和展が開かれています。
父親を中国で亡くされた女性の方が一人サロンで訪れる人を
待っておられる姿が見えて、吸い寄せられるように立ち寄って
きました。
私の親父も中国での戦争に駆り出されたことがありましたので
ついつい話し込んでしまいました。
サロンでは中国での戦争、インパール作戦、ガダルカナルなど
南方戦線の悲惨な写真も展示されて、パネルからうめき声が
聞こえてくるようでした。
原爆詩人の峠三吉さんの紹介もあり、表現は適切ではありませんが、
話が弾みました。
以下は、8月6日の広島での慰霊祭で子どもたちが読み上げた
平和への誓いです。
池に石を投げ込むと波紋が広がります、遠くに行くと波紋は大きく
なりますが、粗く不鮮明になってしまいます。
戦争の無意味さや悲惨さも同様の部分があるように思います。
人の命の尊さを子どもたちも大人も改めて考える機会に
なればと願います。
~平成30年度「平和への誓い」~
人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。
「助けて。」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ。」と、捜し続けるお父さんやお母さん。
「骨をもいでください。」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、
腕の肉が無い姿でした。
広島は、赤と黒だけの世界になったのです。
73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。
そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。
広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の
話に耳を傾け、今、私たちは、強く平和を願います。
平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。
苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に
生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。
平成30年(2018年)8月6日
こども代表 広島市立牛田小学校 6年 新開 美織
広島市立五日市東小学校 6年 米廣 優陽
日です。
私ももちろん生まれていませんし、日本人の半数以上がこの世に
生を授かる前の出来事でした。
広島の慰霊祭に続いて長崎でも慰霊祭が開催され、遺族や
その家族が参列し、亡くなられた方の御霊を追悼されていました。
市役所のサロンでも世界大戦の平和展が開かれています。
父親を中国で亡くされた女性の方が一人サロンで訪れる人を
待っておられる姿が見えて、吸い寄せられるように立ち寄って
きました。
私の親父も中国での戦争に駆り出されたことがありましたので
ついつい話し込んでしまいました。
サロンでは中国での戦争、インパール作戦、ガダルカナルなど
南方戦線の悲惨な写真も展示されて、パネルからうめき声が
聞こえてくるようでした。
原爆詩人の峠三吉さんの紹介もあり、表現は適切ではありませんが、
話が弾みました。
以下は、8月6日の広島での慰霊祭で子どもたちが読み上げた
平和への誓いです。
池に石を投げ込むと波紋が広がります、遠くに行くと波紋は大きく
なりますが、粗く不鮮明になってしまいます。
戦争の無意味さや悲惨さも同様の部分があるように思います。
人の命の尊さを子どもたちも大人も改めて考える機会に
なればと願います。
~平成30年度「平和への誓い」~
人間は、美しいものをつくることができます。
人々を助け、笑顔にすることができます。
しかし、恐ろしいものをつくってしまうのも人間です。
昭和20年(1945年)8月6日 午前8時15分。
原子爆弾の投下によって、街は焼け、たくさんの命が奪われました。
「助けて。」と、泣き叫びながら倒れている子ども。
「うちの息子はどこ。」と、捜し続けるお父さんやお母さん。
「骨をもいでください。」と頼む人は、皮膚が垂れ下がり、
腕の肉が無い姿でした。
広島は、赤と黒だけの世界になったのです。
73年が経ち、私たちに残されたのは、
血がべっとりついた少女のワンピース、焼けた壁に記された伝言。
そして今もなお、遺骨の無いお墓の前で静かに手を合わせる人。
広島に残る遺品に思いを寄せ、今でも苦しみ続ける人々の
話に耳を傾け、今、私たちは、強く平和を願います。
平和とは、自然に笑顔になれること。
平和とは、人も自分も幸せであること。
平和とは、夢や希望をもてる未来があること。
苦しみや憎しみを乗り越え、平和な未来をつくろうと懸命に
生きてきた広島の人々。
その平和への思いをつないでいく私たち。
平和をつくることは、難しいことではありません。
私たちは無力ではないのです。
平和への思いを折り鶴に込めて、世界の人々へ届けます。
73年前の事実を、被爆者の思いを、
私たちが学んで心に感じたことを、伝える伝承者になります。
平成30年(2018年)8月6日
こども代表 広島市立牛田小学校 6年 新開 美織
広島市立五日市東小学校 6年 米廣 優陽
Posted by いとう茂 at 21:31│Comments(0)