2019年03月03日

面白い話④

面白いとか興味があるというのは個人の価値観に
よって違いがあると思います。
何が面白いか、それだけでもその人の生き方や知的レベルが
分かる場合もあり、面白いというと私のレベルも世間に
知らしめているのかと思うと・・・・・それでも紹介します。

最高の道徳・無私と奉仕

瀬島龍三は鋭敏無比な頭脳をもった精悍な軍人だった。
それが城山三郎が指摘した「聖瀬島と呼びたくなる」魅力に
変化していったのは、どういう経過があったのだろうか。
瀬島自身の告白をきいてみよう。
「シベリアへ行くまでの私は軍の世界しか知りませんでした。
人間の価値はイコール階級であり、階級が上の人は、
それだけ人格も上だと考えて、一度も疑問をもったことが
なかったのです。
それがロシアの捕虜となって、階級をはく奪され、全員同じように
扱われた時、人間の本当の価値が分かりました。
一番、最高の道徳とは何か、それは無私に徹して、世のため、
人のために尽くすことだと思いました。

自分自身が腹ペコでも、病気の人が出たら、食べ物を分けてやる。
課せられた仕事のノルマも手伝う。
そういうことは、今のような恵まれた環境ならさほど難しい
ことではないのですが、あのどん底の時代には、やはり、立派な
価値ある人物でないと、できないことなのです。
私自身も、幾度となく助けられたし、逆に助けたこともあります。」

収容所では、囚人が働いて得た労賃によって、収容所一切の
管理がまかなわれていた。
したがって、囚人は、その労働所得によって、自分の食費、
被服を負担するばかりでなく、収容所の諸設備の維持、病院運営、
医薬、入院費は言うに及ばず、日本人、朝鮮人、中国人の囚人、
さらにソ連側職員、警備兵などに要する費用の一部まで背負わねば
ならなかった。

このため、入院患者や老齢兵、病人の少ない収容所はおのずから
収入が多く、収容所側の囚人に対する風当たりも比較的ましだったが、
その反対の場合は医療、食糧は悪く、ますます、病弱者がふえ、
収容所の運営維持が悪化するので、病弱者まで作業場へ駆り出され
たのであった。

こういうギリギリの場での生き方は三通りあった。
一つは、徹頭徹尾、旧軍人としての信念を貫く人間。
一つは民生委員となって、魂までソ連に売り渡す者。
もう一つは、信念を貫くことも、魂を売り渡すだけの度胸もなく、
帰国のために、いわれるままに働き、食べ、眠り、赤にも桃色にも
染まったふりをしている連中で、それがほとんどだった。

Posted by いとう茂 at 21:33│Comments(0)
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