2019年09月26日
生活困窮者支援の取り組み
昨日、資料作りに長時間を要した研修会を、
今日の午後から開催しました。
大津市社会福祉協議会の自立支援グループの支援員の
方に、生活困窮者支援の取り組みについて講演していただき、
その後に質疑の時間を設けました。
生活保護の一歩手前の生活困窮家庭への支援は、大津市の
政策は、親よりも子どもに重点が置かれて、学区社協が
夏休み等の長期の休みに「寺子屋」事業として、映画会や
ものづくり、昔遊び、流しそうめん、食事会などの支援を
したり、塾に行くお金がない世帯を支援する中3学習会などの
事業が行われています。
県が支援していた子ども食堂もそうですが、子どもの居場所
づくりの支援で、ほとんどがボランティアで運営されいます。
こうした取り組みは継続が大きな力になりますので、月1回が
週1回、毎日と、密度も求められると思いますが、予算や人手、
あるいは会場の都合でそこまで行っていないのが実情で、
同じ学区でそれぞれ違う日に違うボランティアが開催して、
1週間切れ目のない支援を行うところまでは現状では見通しが
立たない学区がほとんどです。
大津市以外では、生活困窮家庭の支援を子どもからではなく、
親から入った自治体も多数あります。
厚生労働省では任意事業の位置づけですが、入ってくるお金が
一定なら、出ていくお金の無駄をなくそう、そうして滞納などの
解消に努めて、差し押さえなど親の心理的な不安もなくして
いこうという事業もあります。
買い物のレシートを相談員が分析して、間食やアルコールの
金額が多いと徐々に減らすようにし指導して、余ったお金を
滞納の税金や公共料金の支払いに回して、家計の正常化を
図って社会的な自立を目指し健全家庭に戻す取り組みで、
議員時代に一般質問で取り上げたこともありましたが、実現
しませんでした。
貧困問題は親の自己責任論も根強く、お金がないのに子どもを
産んだのは貧困を承知の上であるので、支援の必要はない、
これは極論ですが、これに近い意見は多くあります。
自分たちは寝る間も惜しんで仕事をして、今の地位を築いた、
なのに・・・・・・という考え方です。
個人的な考え方ですが、福祉は掘り下げて行って、あそこまで
そう思ってそこまで行くと、さらに深い所で苦しむ人が見えてきます、
そして、あの人にも救いの手を・・・そう思ってその人に救いの手を
差し出すと、さらに深い所で救いを求めている人が見えてくる。
だからといって、ここまでと線を引くこともできない。
困っている人同様に福祉の奥は無限にある、そう思っています。
ただ、すべての人が笑顔で暮らし続けることが、どれだけ
幸せなことであるか、あたりまえの事ですが、その当たり前の
社会が実現することを願います。
今日の午後から開催しました。
大津市社会福祉協議会の自立支援グループの支援員の
方に、生活困窮者支援の取り組みについて講演していただき、
その後に質疑の時間を設けました。
生活保護の一歩手前の生活困窮家庭への支援は、大津市の
政策は、親よりも子どもに重点が置かれて、学区社協が
夏休み等の長期の休みに「寺子屋」事業として、映画会や
ものづくり、昔遊び、流しそうめん、食事会などの支援を
したり、塾に行くお金がない世帯を支援する中3学習会などの
事業が行われています。
県が支援していた子ども食堂もそうですが、子どもの居場所
づくりの支援で、ほとんどがボランティアで運営されいます。
こうした取り組みは継続が大きな力になりますので、月1回が
週1回、毎日と、密度も求められると思いますが、予算や人手、
あるいは会場の都合でそこまで行っていないのが実情で、
同じ学区でそれぞれ違う日に違うボランティアが開催して、
1週間切れ目のない支援を行うところまでは現状では見通しが
立たない学区がほとんどです。
大津市以外では、生活困窮家庭の支援を子どもからではなく、
親から入った自治体も多数あります。
厚生労働省では任意事業の位置づけですが、入ってくるお金が
一定なら、出ていくお金の無駄をなくそう、そうして滞納などの
解消に努めて、差し押さえなど親の心理的な不安もなくして
いこうという事業もあります。
買い物のレシートを相談員が分析して、間食やアルコールの
金額が多いと徐々に減らすようにし指導して、余ったお金を
滞納の税金や公共料金の支払いに回して、家計の正常化を
図って社会的な自立を目指し健全家庭に戻す取り組みで、
議員時代に一般質問で取り上げたこともありましたが、実現
しませんでした。
貧困問題は親の自己責任論も根強く、お金がないのに子どもを
産んだのは貧困を承知の上であるので、支援の必要はない、
これは極論ですが、これに近い意見は多くあります。
自分たちは寝る間も惜しんで仕事をして、今の地位を築いた、
なのに・・・・・・という考え方です。
個人的な考え方ですが、福祉は掘り下げて行って、あそこまで
そう思ってそこまで行くと、さらに深い所で苦しむ人が見えてきます、
そして、あの人にも救いの手を・・・そう思ってその人に救いの手を
差し出すと、さらに深い所で救いを求めている人が見えてくる。
だからといって、ここまでと線を引くこともできない。
困っている人同様に福祉の奥は無限にある、そう思っています。
ただ、すべての人が笑顔で暮らし続けることが、どれだけ
幸せなことであるか、あたりまえの事ですが、その当たり前の
社会が実現することを願います。
Posted by いとう茂 at 21:05│Comments(0)