2020年06月13日

次第送り

昨年の叔父の訃報に続き、母親の兄である伯父が
亡くなりました。
二人とも90歳を超えて長寿だったのですが、亡くなると
寂しく悲しいものがあります。
おふくろと里帰りすると鳥小屋から鶏を出して、夕食の
すき焼きを作ってくれました。
春になると竹林にタケノコ堀りに連れて行ってもらったことも
何度かありましたし。
和太鼓の演奏で竹が欲しいというと年代物の孟宗竹を
惜しげもなく伐採してくれたこともありました。
私の親父が亡くなってからは勝手に親代わりだと思って
接してきましたが、これも次第送り、時の流れの中で
避けては通れない出来事です。

一緒に遊んでくれたりすることはありませんでしたが、頼りがいの
ある人で事あるごとに相談に出かけたものです。
いっぱい恩を受けてきたのにほとんどお返しができなくて、不義理ばかり
そんな甥っ子をどう思っていたのか、もう聞くことはできません。
大きな支えがなくなり、脱力感と言うのか虚無感と言うのか
体から力が抜けた状態の自分がいます。

会いに行くといつもコーヒーを入れてくれたのですが、薄めの
コーヒーにいつもミルクも砂糖もいっぱい入れて、ブラックしか
飲まない人間には違和感があったのですが、その甘さが妙に
懐かしい味だったのを覚えています。
いなくなって初めて失ったものの大きさや大切さがわかるものですが、
時間の経過とともに寂しさの方が大きくなるように感じています。
始めがあれば必ず終わりが来るのが世の常です、残された人間は
今置かれている状況で日々接する人たちへの感謝を忘れないように、
身近な人が亡くなるといつも思い起こすことです。
人は誰かに支えられ、そして支えて生きている。
そのことを改めて噛みしめたいと思います。

Posted by いとう茂 at 15:40│Comments(0)
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