2020年06月17日
思い出し遍路③
1番の霊山寺から2番の金泉寺までは1キロ余り、
歩いて15分ほどで到着します。
札所間の距離が短いのは香川県の68番神恵院と69番の
観音寺、同じ敷地にありますので移動と言う言葉が似合わない
程隣接していますが、徳島県ではこの間のほかにも13番の
大日寺から16番の観音寺までの札所間も1・2キロ程度で、
何となく得をした気になります。
徳島県は発心の道場ともいわれており、歩きだした遍路が
懲りない程度の絶妙な距離感で存在しているように思います。
ただ・・・・、地獄もありますが・・・・・・。
最初にも書きましたが札所の印象はそれぞれ濃淡があります。
はっきりと覚えている札所もあれば、そういえば・・・・そうだったか。
境内の様子も明確に頭に残っている札所もあれば、ほとんど
残っていない札所もあります。
現在4巡目ですから最低でも3回、多い札所だと7・8回訪れて
いますので、それなりに残っていてもいいようなものですが、
それが淡い印象の札所は何度お参りしても淡いまま。
これは私だけなのか、多くの人がそうなのかはわかりません。
15分歩いただけでも当時は疲れていた記憶があります。
初めての四国で緊張もあったのでしょうが、歩くことが少なく
今よりもずっと若かったのに、足腰が弱かったのか、とも思います。
2番の極楽寺は境内に樹齢が1000年とかいう大きな杉があったのと
売店の売り子さんが印象に残っています。
境内に入り手と口を清めてまっすぐに歩いて左に曲がると本堂と
大師堂があります。
途中短い階段もあったように思います。
お参りが終わり納経を済ませてベンチで休んでいると、広島県から
来たという男性と出合いました、何を話したかは覚えていませんが、
その男性は通しで88か所を回るということだったと思います。
話している最中も売り子が何度も近寄ってきて、巻きずしはいらないかと
しきりに勧めてきました、断った回数も1回や2回ではなかった、
そんなことで強く残っているのだと思います。
おそらく時刻は9時になっていなかったと思いますし、それほど空腹でも
ありませんでしたので、断るのも面倒でなるべく目を合わさないように
休んでいました。
般若心経が途中で息が続かなくなったり、ご本尊の真言で舌を
噛んだり、まだまだ新米です。
次の3番金泉寺も札所を出て左手です。
歩いて15分ほどで到着します。
札所間の距離が短いのは香川県の68番神恵院と69番の
観音寺、同じ敷地にありますので移動と言う言葉が似合わない
程隣接していますが、徳島県ではこの間のほかにも13番の
大日寺から16番の観音寺までの札所間も1・2キロ程度で、
何となく得をした気になります。
徳島県は発心の道場ともいわれており、歩きだした遍路が
懲りない程度の絶妙な距離感で存在しているように思います。
ただ・・・・、地獄もありますが・・・・・・。
最初にも書きましたが札所の印象はそれぞれ濃淡があります。
はっきりと覚えている札所もあれば、そういえば・・・・そうだったか。
境内の様子も明確に頭に残っている札所もあれば、ほとんど
残っていない札所もあります。
現在4巡目ですから最低でも3回、多い札所だと7・8回訪れて
いますので、それなりに残っていてもいいようなものですが、
それが淡い印象の札所は何度お参りしても淡いまま。
これは私だけなのか、多くの人がそうなのかはわかりません。
15分歩いただけでも当時は疲れていた記憶があります。
初めての四国で緊張もあったのでしょうが、歩くことが少なく
今よりもずっと若かったのに、足腰が弱かったのか、とも思います。
2番の極楽寺は境内に樹齢が1000年とかいう大きな杉があったのと
売店の売り子さんが印象に残っています。
境内に入り手と口を清めてまっすぐに歩いて左に曲がると本堂と
大師堂があります。
途中短い階段もあったように思います。
お参りが終わり納経を済ませてベンチで休んでいると、広島県から
来たという男性と出合いました、何を話したかは覚えていませんが、
その男性は通しで88か所を回るということだったと思います。
話している最中も売り子が何度も近寄ってきて、巻きずしはいらないかと
しきりに勧めてきました、断った回数も1回や2回ではなかった、
そんなことで強く残っているのだと思います。
おそらく時刻は9時になっていなかったと思いますし、それほど空腹でも
ありませんでしたので、断るのも面倒でなるべく目を合わさないように
休んでいました。
般若心経が途中で息が続かなくなったり、ご本尊の真言で舌を
噛んだり、まだまだ新米です。
次の3番金泉寺も札所を出て左手です。
Posted by いとう茂 at 15:56│Comments(0)