2021年02月02日

応援団長

えこーに相談に来る人はほとんどが母親ですが、
中には夫婦で相談に来る家庭もあります。
母親と当事者は細い糸でつながり、会話も何とか成立している
場合が多いのですが、父親とは距離があり当事者も距離を
おいていて、父親も何を話せばいいのか見当がつかず、
会話が成立していません。
しかし、当事者にとって父親は怖いというか、粗末な対応が
許されない存在のようです。
拒否をするにしても、その場で拒絶することができないケースが
多いように思います。
地震、雷、火事、オヤジではありませんが、母親と違い近寄ることに
抵抗がある当事者に昔のように親近感を持ってもらうには
どうすればいいかと言った類のことを聞かれることもあります。

事情を聴いていると「この先どうするんだ」「仕事はどうする」
「学校はどうする」そうしたことを日常的に口にすることが多いのが
共通しています。
これは当事者自身が一番よくわかっていて、何とかしなくてはと
もがき苦しんでいる点で、誰かから一番聞いてほしくないことでも
あります。
言いたい気持ちはよく分かりますし、お父さん自身も子どもの時から
親に言われてきたことだと思います。
このことはしばらく封印して、挨拶から始めましょう。
そういうことにしています、当事者の警戒心が薄れて父親にも
近寄るようにならなければ、ぎくしゃくした関係の修復は始まりません。
親父はいつも言うことが決まっている、答えが出せるならひきこもったり
しない、当事者の声が聞こえてきそうです。

この前も、言わずにおこうと思うのですが子どもの顔を見ると
つい口にしてしまいます、そんな相談者がいましたので、
お父さん、子どもさんの応援団長になってあげてください。
向き合うのではなく先に立ったり後ろから後押しをする応援団長、
何があってもお父さんはお前の味方だと伝えてほしいと思いますが、
言葉が見つからないと思いますので、家の中では笑顔で「おはよう」
「おやすみ」から始めましょう・・・・・。
話しながら、東井義雄さんの詩が頭に浮かんできました。
以前にも紹介したと思いますが再掲します。
学校と教師を親と読み替えても十分意味は通じると思います。

川は
岸のために流れているのではない
川のために
岸ができているのである
わかり切ったことである
それだのに
教師の考え
学校の方針にあわない子どもを
「悪い子」「問題の子」「困った子」として
切り捨ててしまう風潮が横行しているのはどういうことか
子どものために「教師」があるのである
子どものために「学校」があるのである
「できない子」のための岸になろう
「困った子」のための岸になろう
そして
ともどもに
「真理」「真実」の海を目指そう
そういう教師になろう
そういう学校を創ろう
川は岸のために流れているのではないのだから。

Posted by いとう茂 at 15:39│Comments(0)
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