2021年09月12日
糸賀一雄語録③
糸賀一雄さんの略歴は昭和 21年11月、
戦後の混乱期の中で池田太郎、田村一二両氏の懇請を受け、
知的障害児等の入所・教育・医療を行う「近江学園」を創設し、園長となる。
西日本で最初の重症心身障害児施設「びわこ学園」を設立するなど、
多くの施設建設を手がけるとともに、中央児童福祉審議会・
精神薄弱者福祉審議会の委員や全日本精神薄弱者育成会
(手をつなぐ親の会)の理事として、国の制度づくりにも尽力する。
【福祉国家は、ただ単に経済的な社会保障だけで達成されるものではない。
社会保障こそ平等を達成する平和な道である。
そのような客観的な条件を整備することの重要さはいうまでもないことである。
しかしそれとともに、その社会に住む一人ひとりがその生をよろこび、
生まれてきたことの生き甲斐を感じるようなものでなければ、
ほんとうの福祉社会ということはできないであろう。
そのような主観的な条件も重視されなければならない(中略)。
みせかけの科学的というかけ声に酔って、現実の悩みを
ひとごとにしてしまってはいけない。
この悩みや呻きの声に耳を傾けること。
それへの共感の心情をたっぷりもって、そして改めて
この人々と共に生きてみることである。
そこにかすかではあるが、この世ならぬ、一条の光が
放たれていることに気づかされるのである。
この光は、新しい「世の光」である。
それはこの人々から放たれているばかりでなく、
この人々と共に生きようとしている人々からも放たれているのである。】
【今日の地域社会の一つの理想は、その地域に生まれてくる
子どもたちの心身の発達を常に見まもり、親をも含めたその環境を調整し、
発達を保障するための施設を用意することである。
このような発達保障の体系の中では、欠陥児の対策は、
何も特別な慈恵的な営みではない。
きわめて当然の社会的な営みなのである。
すべての人の発達が保障されなければならない。
そういう社会の働きの中の、当然なこととして心身に障害をもった
子どもたちの発達の保障が位置付けられるべきだという考え方は、
慈恵的、慈善的な社会事業観念の打破であり、
そして、それは新しい社会形成の理念に支えられたものである】
【社会福祉といっても、社会という集団が全体として「福祉的」で
ありさえすればよいというのではない。
つまり社会が豊かであり、富んでさえすれば、
その中で生きている個人一人ひとりは貧しくて苦しんでいる
ものがいても構わないというのではない。
社会福祉というのは、福祉の単なる総量をいうのではなくて、
その中で個人の福祉が保障される姿を指すのである。】
戦後の混乱期の中で池田太郎、田村一二両氏の懇請を受け、
知的障害児等の入所・教育・医療を行う「近江学園」を創設し、園長となる。
西日本で最初の重症心身障害児施設「びわこ学園」を設立するなど、
多くの施設建設を手がけるとともに、中央児童福祉審議会・
精神薄弱者福祉審議会の委員や全日本精神薄弱者育成会
(手をつなぐ親の会)の理事として、国の制度づくりにも尽力する。
【福祉国家は、ただ単に経済的な社会保障だけで達成されるものではない。
社会保障こそ平等を達成する平和な道である。
そのような客観的な条件を整備することの重要さはいうまでもないことである。
しかしそれとともに、その社会に住む一人ひとりがその生をよろこび、
生まれてきたことの生き甲斐を感じるようなものでなければ、
ほんとうの福祉社会ということはできないであろう。
そのような主観的な条件も重視されなければならない(中略)。
みせかけの科学的というかけ声に酔って、現実の悩みを
ひとごとにしてしまってはいけない。
この悩みや呻きの声に耳を傾けること。
それへの共感の心情をたっぷりもって、そして改めて
この人々と共に生きてみることである。
そこにかすかではあるが、この世ならぬ、一条の光が
放たれていることに気づかされるのである。
この光は、新しい「世の光」である。
それはこの人々から放たれているばかりでなく、
この人々と共に生きようとしている人々からも放たれているのである。】
【今日の地域社会の一つの理想は、その地域に生まれてくる
子どもたちの心身の発達を常に見まもり、親をも含めたその環境を調整し、
発達を保障するための施設を用意することである。
このような発達保障の体系の中では、欠陥児の対策は、
何も特別な慈恵的な営みではない。
きわめて当然の社会的な営みなのである。
すべての人の発達が保障されなければならない。
そういう社会の働きの中の、当然なこととして心身に障害をもった
子どもたちの発達の保障が位置付けられるべきだという考え方は、
慈恵的、慈善的な社会事業観念の打破であり、
そして、それは新しい社会形成の理念に支えられたものである】
【社会福祉といっても、社会という集団が全体として「福祉的」で
ありさえすればよいというのではない。
つまり社会が豊かであり、富んでさえすれば、
その中で生きている個人一人ひとりは貧しくて苦しんでいる
ものがいても構わないというのではない。
社会福祉というのは、福祉の単なる総量をいうのではなくて、
その中で個人の福祉が保障される姿を指すのである。】
Posted by いとう茂 at 11:56│Comments(0)