2023年05月24日
叔母が亡くなりました
従兄から伯母が亡くなったと訃報が届きました。
母方の叔母で、これで母方の方は3人ずついた伯父・伯母の全員が亡くなりました。
子どものころ母親に連れられて田舎に帰ると、
伯母の子どもをコテンパンにいじめていたのに、この伯母にはよくしてもらいました。
一人でひょっこり訪ねても、飼っている鶏をさばいてすき焼きをご馳走してくれ、
帰りにはこれでもかと言う位の野菜を持たせてくれました。
こんなことが何度もあり、すき焼きが食べたいばかりに田舎に行ったこともあります。
魞で小鮎やゴリ、イサザがとれると漁港まで買いに行き、
あっさり目の甘露煮や佃煮にして「焚けたさかい
茂ちゃんにとりに来てもうとくれ」と電話が入ります。
市販の甘露煮と違い、柔らかくあっさりしていて毎回ほぼ独り占めでした。
もらい物にはほとんど箸をつけないのですが、伯母の甘露煮や佃煮は別でした。
それでも伯母が作ったぼた餅や筑前煮は箸をつけたことがなく、
基準は分かりませんが自分の中に何かあるようです。
告別式は近所の人たちと親戚がほとんどでした。
93歳と言う高齢でしたので、式場も悲しみに包まれるということはなく、
淡々と式は進みましたが、最後のお別れに花を供えた時は胸が詰まりました。
冷たくなった額に手を当てて「おばちゃんありがとう、
お疲れさまでした」が最後の言葉でした。
甥っ子4人で棺を霊きゅう車まで運んだのが最後の仕事になりました。
ありきたりの言葉ですが・・・どうぞ安らかに、さようなら。
母方の叔母で、これで母方の方は3人ずついた伯父・伯母の全員が亡くなりました。
子どものころ母親に連れられて田舎に帰ると、
伯母の子どもをコテンパンにいじめていたのに、この伯母にはよくしてもらいました。
一人でひょっこり訪ねても、飼っている鶏をさばいてすき焼きをご馳走してくれ、
帰りにはこれでもかと言う位の野菜を持たせてくれました。
こんなことが何度もあり、すき焼きが食べたいばかりに田舎に行ったこともあります。
魞で小鮎やゴリ、イサザがとれると漁港まで買いに行き、
あっさり目の甘露煮や佃煮にして「焚けたさかい
茂ちゃんにとりに来てもうとくれ」と電話が入ります。
市販の甘露煮と違い、柔らかくあっさりしていて毎回ほぼ独り占めでした。
もらい物にはほとんど箸をつけないのですが、伯母の甘露煮や佃煮は別でした。
それでも伯母が作ったぼた餅や筑前煮は箸をつけたことがなく、
基準は分かりませんが自分の中に何かあるようです。
告別式は近所の人たちと親戚がほとんどでした。
93歳と言う高齢でしたので、式場も悲しみに包まれるということはなく、
淡々と式は進みましたが、最後のお別れに花を供えた時は胸が詰まりました。
冷たくなった額に手を当てて「おばちゃんありがとう、
お疲れさまでした」が最後の言葉でした。
甥っ子4人で棺を霊きゅう車まで運んだのが最後の仕事になりました。
ありきたりの言葉ですが・・・どうぞ安らかに、さようなら。
Posted by いとう茂 at 22:14│Comments(0)