2025年04月26日

日曜日の読書

読む作家の作品が偏ってきたと感じていましたので、違う作家の本をと考えて選択を少し変えました。
現在読んでいるのは、「吉田松陰 ザ・語録」森友幸照 「運命は自分持ち」石川 洋 「貧困の光景」曽野綾子 「聖書のエッセンス」台 豊で、聖書のエッセンスを読み終わり入れ替えに、全く違うジャンルから「雀師流転」阿佐田哲也にしました。
聖書のエッセンスはこの前いただいた本で、聖書のことが易しく書かれていました。
個人的な考えですが、キリスト教でも仏教でも読書という形からは信仰に結びつかないと思っています。
帰依する心というのか、無条件の納得がないと信仰はできない気がします。
損得が入ると目に見える利益だけを優先し、目に見えない力の存在を肯定する気持ちは生まれないでしょう。
「神はいる」「仏はいる」と心の底から信じられないと信仰心は芽生えない、いくら拝んでも病気は治らないし、宝くじも外れてばかり、ここからは信仰は生まれません。
私自身は神も仏も存在するという認識があります、すべてではありませんが宗教に抵抗もありません。
機会があれば聖書にも親しみたいと考えています、それは読書や勉強と言ったスタンスではなく、拾い読みでもゆっくり噛みしめる気持ちで向き合えればと考えています。
限られた持ち時間を意識しながら、本棚の本をどれだけ再読できるか、冊数もですがそれよりも内容をボケかけた頭にどれだけ残せるか・・・・です。

Posted by いとう茂 at 10:16│Comments(0)
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