2013年03月26日

「涙」

3月11日の新聞の社説と1面のコラムはすべて
東日本大震災関連のものでした。
読売、朝日、毎日、産経、京都、中日、日経。

2年という時間は地震、津波、原発事故・・・・・。
そうした単語は記憶にあるものの、
海沿いの地域ではあの時のままのような気がします。

テレビに食い入るようにして見た津波が襲う光景や
原発の建屋が吹き飛んだ映像は脳裏にあるのですが、
今でも避難して暮らす住民の心や復興庁の具体的な動きや
思いは伝わってきません。

ついこの前、新聞だったと思うのですが、自分が生きた証しを
誰かに認めてほしい、今を共に生きる人たちは自分の生き様を
認めてくれてもその人たちが死んでしまえば、もう自分は
誰にも認められず、この世に存在したことすら知られない。

死者、行方不明と震災関連死で亡くなった人は約21.000人、
自己主張すらできずに亡くなっていった人が大半です。

生きている者は授かった命を全うしなければいけない。
たとえ自分の生き様を誰にも知られず、認められなくても。

被災された方にも、と強要しているのではありません。
自分自身に言っています。

そんな気持ちにさせる詩に出会いました。
昨日の朝日新聞の記事に吉永小百合さんが
香川県のハンセン病療養所、青松園を訪れて
昨年公開された「北のカナリアたち」の上映会を開催された
ことが掲載されていました。

小百合さんのご縁は、この療養所に入所している塔和子さんの詩を朗読
したことから始まりました。
4年ぶりの再会とのことでした。
その、塔和子さんの詩を紹介します。

「涙」

あるとき
死のうと思った私が夫に
「一生懸命なのよ」と言うと

夫は
「同じ一生懸命になるのなら
生きることに一生懸命になってくれ
がむしゃらに生きようではないか」と
言ってくれた

私は目が覚めたように
そうなんだと思った

どんなに懸命に生きたとしても
永遠に続いている時間の中の
一瞬を
闇から浮き上がって
姿あらしめられているだけだ

いのち
この愛(いと)けないもの

思いっきりわが身を抱きしめると
きゅっと
涙が
にじみ出た


読後、しばらく言葉が出ませんでした。


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Posted by いとう茂 at 15:25│Comments(0)人生
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