2013年08月07日

控室の本より⑪

昨日は68回目の広島原爆の日でした。
暑い夏、焼け野原の町、死体の山、うめき声
地獄絵図の日々が幾日も続いたことは想像に難くありません。
平和公園に置かれた慰霊碑、5月に行ったばかりですので
碑に刻まれた「安らかにお眠りください 過ちは繰り返しませんから」の
文字が浸み込みました。

戦争を二度としないという誓いなら、国会議事堂の前にも
石碑を置いてもいい気がします。

今日は8月特別会議がありました。
これまでの臨時議会、通年議会になり名称も変わりました。
職員への圧力とも取れる発言で辞任した議長に代わり
新しい議長を選任する議会です。

この人なら、そういう人が6人くらい出てきました。
最大会派から出ていた議長です、今回最大会派が
活発な根回しをしなかったからか、それぞれの会派に思いがあるのか、
こんな時こそ一人を推すというまとまりが欲しかった気がしますが、
そうもいかないような情勢です。

控室の本より⑩の続きです、文脈をご理解いただくために、
⑩から読んでいただければ幸いです。

曾野綾子 「幸せは弱さにある」より

いままで「心の貧しい人は幸いである」とか
「どんな状況も喜びなさい」、「弱さを誇りなさい」
などと述べてきたことからすると、少々の違和感を
覚える方もおられるでしょうか。
あるいは、世俗的な楽しみを後押ししてくれているようで、
「ほっとした」かも知れません。

これがまた、聖書の面白い所です。
ごく普通の人間の飲食や家庭生活などに、
積極的な意義を認めているのです。

けれども、だからと言って甘やかそうというのではありません。
むなしさに帰結する現世の艱難辛苦と対峙するとき、
弱い人間がそれに押しつぶされることなく自分を
保っていくためには、こういうささやかな楽しみで
心のバランスをとる必要がある、ということです。

人生の苦しみや厳しさを理解し、懸命に生きる人にとって、
楽しく暮らすことは神に祝福された行為とみなしているのです。

いつも明るく、楽しそうにしている人は、
周囲から少々軽く見られがちです。

でも、そういう人が何も考えていないわけではありません。
いろいろ深く考え、悩むことがあるからこそ、
逆に必死になって楽しく生きようとしている場合もあるのです。

気難しい顔をして悩んだり、考え事をしたり、
社会に怒りをぶつけたりする人は、一見、知的に見えると
誤解されているきらいがありますが、
そんなポーズをとること自体が弱さでもあるのです。

何があっても、どんな苦境に立たされていても、
一生懸命、楽しく生きようとしている人たちに出会うと、
私は心を打たれます。

Posted by いとう茂 at 12:16│Comments(0)
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