2013年11月16日

奇跡の命

午前中は膳所小学校で人権を考える大津市民のつどいが
開催されましたので参加しました。
今年で45回目になり発足当初は同和問題への
理解を深める催しでしたが広く人権を考える
集会へと移行してきました。

全大会で児童生徒の意見発表があり小学生から
高校生まで4組5人の発表がありました。
一番最初に登場したのは5年生の女の子でした。

「奇跡の命」という題名の作文の朗読でした。
自分の命は過去からつながっているという主旨で
父母、祖父母さらにその前から誰がいなくても
今の自分がいないというものでした。

鳥取の祖父が今年亡くなったということでしたが、
大津まで4時間かけてやって来てあっという間に帰っていく。
自分にも孫がいますのでたまに遊びに行くと
「まだ帰らんといて」と引き止めます。
きっとこの女の子もあわただしく帰っていく祖父の後ろ姿に
同じ思いをしていたのでしょう。

その祖父が昨年、がんに侵されて自分の母親が鳥取まで
看病に行っていたことや家族で見舞いに行ったこと
そして衰弱していく祖父を見て死が近いことを感じたことなど
ありのままに綴った作文でした。

ゲームでは人間がいとも簡単に死んだり、蘇ったりで
死について考える機会が少ないわけですが、これは、
社会構造も関係しています。
病院で亡くなる人が圧倒的に多く、家の構造で亡くなった人を
家に連れて帰り家族だけで「うちよとぎ」を行う慣習も住んでいる地域では
ほとんど消えてしまいました。

棺に入れて葬儀場に直行というケースも珍しくなく、人間の死を
間近で見ることは子どもにとってほとんどありません。

養護施設や病院のベッド数には限りがあり、この先人口が
減少するのが確実な中で新たな施設の建設や増床を行うのには
二の足を踏むのが目に見えています。

そんな中で許されるなら自分の家で最期を迎えたいと願う人は多く、
看取りが増えているのも事実です。
生まれた命は必ず絶えます。
その絶えていく命と向き合わすことなく骨壺だけ見せられても
死を受け入れるのは難しいでしょう。

祖父の見舞いに何度も行ったのでしょう、そのたびに弱っている
姿を見て死を意識し、看病をしている親の姿に祖父を気遣う
感情を見たのではないでしょうか。

こんな小さな子供でも死と向き合い死を受け入れて、今ある自分を
形作ってくれた人への感謝を忘れない。
学校で道徳が教科になるという議論がありますが、家庭で気づかせる
道徳が忘れられてはいないでしょうか、我々、大人が忘れていたものに
気づかせてくれた作文でした。

こからもう一度膳所小学校です、社協のバザーのお手伝いに行きます。
地域の人が分科会の冒頭、現役を引退して1年間は何をしていいかわからなかった、
自治会活動に進むべき道を見出したと話されました。

現役を引退できるだけ幸せかもしれませんし、現役があるだけ
幸せかもしれません。
社会の底辺で苦しむ人が一人でも減るように、自分にできることを
できる時にできる範囲でする、それしかありません。

Posted by いとう茂 at 13:01│Comments(0)
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