2025年04月01日

花の命は短くて

各地から桜の開花の報告があり、東京では満開のニュースも届きました。
日本で花といえば「桜」のイメージが定着したのはいつごろからかは分かりませんが、花の中では「梅」が一番好きです。
梅一輪 一輪ほどの あたたかさ、芭蕉の弟子の作品と言われていますが、あまり作者には関心がありません。
桜のように数多い花で存在感を出すのではなく、たった一綸でも存在感があり、雪の中でも咲く力強さにひかれます。
花がほころんだことは感じても桜のように散っていくのを感じる人は少ないように思います。
桜切るバカ、梅切らぬバカ、と言われるように大きく切り込むことで翌年も立派な花が見られる梅に励まされたこともありました。
梅と桜の間には「桃」の花もあります、甘い香りが漂う桃の花はひな祭りを盛り上げる役目も果たしていると考えていますが、最近はあまりニュースでは取り上げられません。
桃の花自体、数が少なく人目に触れる機会もあまりないのかもしれませんが、年明けの水仙、梅、桃、そして桜と季節の流れがなくなってきたのかもしれません。
林芙美子の花の命は短くて苦しきことのみ多かりき、は自信の回顧から生まれた歌だと聞いたことがあります。
梅も桃も桜も咲いている期間に違いはありますが、1年というスパンで考えると短いものです。
咲くから花、散るから花どちらも当てはまるように感じます。
散り際を感じながら満開の花を見るのも一つの花見の方法かもしれません。
キジも鳴かずば撃たれまい、花も咲かずば見られまい。
時には誰にも見られずに短い命をのびのび咲きたいと花は思っているようにも感じます。

Posted by いとう茂 at 14:37│Comments(0)
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