2014年04月28日

正確なところは・・・・。

昨夜、高倉健さんの本を読んでいて、酒井雄哉大阿闍梨との
対話文がありました、千日回峰を二度された酒井さんですが、
信長が延暦寺を焼き討ちしてからこれまでに千日回峰を
満願した僧侶は酒井さんを含めて3人だけだそうです。

7年かかって1000日の修行、午前0時ころから1日30キロを歩くようで、
6年、7年目には60~80キロを歩くと言われています。
山道を1年に100~200日、30キロ歩くだけでも大変です、
しかも足元は登山シューズではなく地下足袋、ひざや腰への負担は
とても大きいものがあります。

その他に9日間の断食、不眠の行があります。
これも正確ではありませんが、口をゆすぐ水が1日に何度か
出されるそうですが含んだ水と吐き出す水の量が同じでないと
いけないとか聞いたことがあります。

命がけの修行で1000日の間に亡くなった僧侶も多いと聞きました。

宗派によって修行の形態も違うようです、これも正確でありませんが、
修行と言っても読経、写経、座禅、清掃や畑仕事の作務、托鉢行脚などが
あるようです、天台宗は読経、写経が中心で、真言宗は托鉢行脚、
禅宗は座禅が中心だと聞いた覚えがあります。

そういえば今年は四国88カ所の札所を空海が決めてから
1200年、遍路は昔は遍土と呼ばれ行き倒れも数多く、
四国にはいたるところに無縁墓、遍路塚があります。
貧しい家に生まれた4男や5男は口減らしに遍路に出されたという
話しもあります、東北では男は丁稚奉公、女の子は子守や奉公、
身売りが当たり前の時代がありました。

目が悪い女の子は瞽女(ごぜ)と言って民謡や三味線を習い
地方を回ったと言います、これは以前に読んだ本ですので
記憶もそこそこしっかりしていますが、月岡何んとかという
若い女性が瞽女になり四国88カ所を回って札所で三味線や
民謡の奉納をしています。

もっと前に熊本から女性が大分から船で宇和島に渡り、
四国遍路をしています、彼女は新聞社の社員で日々、記事を送り
地方新聞に掲載されています。
もちろん熊本から大分までも徒歩ですし四国もすべて歩いての
遍路です、大正か昭和の初めのことです。

千日回峰も修行なら四国遍路も修行です、歩く距離は4万キロと1200キロと
大きな隔たりがありますが、自分を見つめるという作業には変わりありません。

最初に書きましたようにすべて正しいこととは言えませんが、
それなりに正確性はあると思います、もし、ここは違うという部分がありましたら、
ご指摘いただければ幸いです。

千日回峰や遍路という特別なものでなくて、
日常生活そのものが修行と感じられたら、退屈や不満が自分に向けられ
現状に甘んじてはいけないという感覚が生まれるのでしょうか。

これも正確なところは・・・・・。
  
Posted by いとう茂 at 12:48Comments(0)