2021年05月26日

飴玉

口が寂しくなると飴玉をなめています。
飴玉をなめている人間にも季節感があり味覚があることを
この年になって知りました。
寒い冬場は濃いめのミルク味とかが美味しいと感じていましたが、
気温が上がり暑くなってくると柑橘系やミント味に変わります。
これから気温はもっと上がりますので、更に酸っぱいレモンとかライムに
変わっていくのでしょうか。

季節感とか味覚の話でなく、この前、飴玉をなめていて感じたことで、
いつものようにどうでもいい話です。
何味をなめていたのかまでは記憶していませんが、飴玉をなめて
しばらくすると味が口いっぱいに広がります。
「今のこの口の中の味はなめてる飴玉がとけてるから味がするのか、
これまでなめてたのが蓄積した味やろか」
そもそもの疑問はここからでした・・・・・どうでもいい話。

ありがたいことに多くの友人知人に恵まれています。
・・・・・と、これも自己満足なのか・・・そもそもが発展しました。
最近は結構疎遠になっている友人知人も多く、飴玉が口の中に
ない状態です。
それでも何とか続いているのはこれまでなめた飴玉の味が
残ってるからと違うのか・・・・・。
せっかくできた人間関係を続けていくのには・・・・何かせんとあかんよね。
年賀状とか、ライン(ガラケーでは無理)、手紙、電話・・・・・。
ということは新しい大きな飴玉でなくても、袋の隅っこにある欠けた
小さな飴をなめてないといけないいんじゃないのかな。
年齢を重ねるごとに友人知人の数は減っていく、外に出る機会も減るし、
人に会う機会も減る、特に去年からのコロナの影響でどちらの機会も減っている。

冬場に濃い味の飴玉が欲しくなるのと同じかどうか・・・・、
若いころはあれだけ頻繁に会っては一緒に飲んでたのに、
最近はコーヒーも一緒に飲んでいない。
これでは疎遠になるのも仕方ないよね、なめてもなめても小さくならない
飴玉も困ったものだが、口の中に何もないのも困る。
口が寂しいから何でもいいとは思わない、好みの飴玉をボチボチのペースで
今日はこれ、明日はあれと、なめ続けられたら口の中の余韻も
もっと手ごたえのあるものになるのに・・・・・。
どうでもいい話でした。
  
Posted by いとう茂 at 16:26Comments(0)