2021年08月24日
どうしとるかなぁ
この前に、ちょっといい話でアップした知り合いに
会ってきました。
知り合いのアパートの隣の溝に子猫がいて、それを救出した
事の話になりましたが、その後もらわれていった子猫については
何も知らないということでした。
知り合いも少し気になるようで「どうしとるかなぁ」と心配して
いました。
知り合いは「あのまま溝にいたら飢えて死んでいたか、カラスや
イタチの餌食になっていたか、誰も助けずに鳴き続けていれば
アパートの住人が保健所に電話をして捕獲されて殺処分されて
いたかも知れないから、人間にもらわれていったのなら
子猫も幸せだと思う気持ちと、飢えか餌食かは別にして
あそこで死ぬのも子猫にとっては幸せだったような気もするよ」
「死んでしまっても幸せなのかな、生き物はいつか必ず死ぬけれど
まだまだこれから生き続けられるなら、そちらの方が幸せなんじゃ
ないかと思うけどな」
友人は「人間の世界ならそうかもしれないけど、子猫は野良猫、
親ともはぐれて生きて行かなくてはいけないわけだから、
食べるものも寝る場所も子猫が調達しなければいけないのだし、
溝から自力で出られていても、この先もっと大きな困難なことや
自動車にはねられて大怪我ということも考えられるしな」
「もらわれて行って、そこで食べるものや寝る場所、健康面も
獣医さんに連れて行ってもらえるし、子猫は幸せに暮らして
いるだろうし、これからもそうだと思うよ」
「でもな、お前は見てないけどホントに小さい猫だったんだ、
少し前に親とはぐれるまでは親が食べ物を与えていたのだろうし、
寝るのも親のそばで寝ていて寝る場所は親が決めていたんだと
思うよ。
それを思うともう誰にも教えてもらえないんだよ。
エサはどうすれば手に入るか、どんなところに行けばいいのか、
寝る場所だってどこなら車や雨、それに人間や他の動物に
襲われないか、それがすべて経験を通してしか分からないんだ。
命に無関係ならいいけど、ほとんどのことは一度失敗すれば
それこそ命とりだよ、それを考えるとなぁ」
子猫のことで話が広がりました、まだまだ話は続いたのですが、
「幸せ」って何だろう、普段と違う角度から考える機会にも
なり、改めて人間が考えている幸せの形、それも人それぞれ
その人の置かれている状況で大きく変わるように感じました。
会ってきました。
知り合いのアパートの隣の溝に子猫がいて、それを救出した
事の話になりましたが、その後もらわれていった子猫については
何も知らないということでした。
知り合いも少し気になるようで「どうしとるかなぁ」と心配して
いました。
知り合いは「あのまま溝にいたら飢えて死んでいたか、カラスや
イタチの餌食になっていたか、誰も助けずに鳴き続けていれば
アパートの住人が保健所に電話をして捕獲されて殺処分されて
いたかも知れないから、人間にもらわれていったのなら
子猫も幸せだと思う気持ちと、飢えか餌食かは別にして
あそこで死ぬのも子猫にとっては幸せだったような気もするよ」
「死んでしまっても幸せなのかな、生き物はいつか必ず死ぬけれど
まだまだこれから生き続けられるなら、そちらの方が幸せなんじゃ
ないかと思うけどな」
友人は「人間の世界ならそうかもしれないけど、子猫は野良猫、
親ともはぐれて生きて行かなくてはいけないわけだから、
食べるものも寝る場所も子猫が調達しなければいけないのだし、
溝から自力で出られていても、この先もっと大きな困難なことや
自動車にはねられて大怪我ということも考えられるしな」
「もらわれて行って、そこで食べるものや寝る場所、健康面も
獣医さんに連れて行ってもらえるし、子猫は幸せに暮らして
いるだろうし、これからもそうだと思うよ」
「でもな、お前は見てないけどホントに小さい猫だったんだ、
少し前に親とはぐれるまでは親が食べ物を与えていたのだろうし、
寝るのも親のそばで寝ていて寝る場所は親が決めていたんだと
思うよ。
それを思うともう誰にも教えてもらえないんだよ。
エサはどうすれば手に入るか、どんなところに行けばいいのか、
寝る場所だってどこなら車や雨、それに人間や他の動物に
襲われないか、それがすべて経験を通してしか分からないんだ。
命に無関係ならいいけど、ほとんどのことは一度失敗すれば
それこそ命とりだよ、それを考えるとなぁ」
子猫のことで話が広がりました、まだまだ話は続いたのですが、
「幸せ」って何だろう、普段と違う角度から考える機会にも
なり、改めて人間が考えている幸せの形、それも人それぞれ
その人の置かれている状況で大きく変わるように感じました。
Posted by いとう茂 at
15:19
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