2021年08月28日
難しい名前の資料をもらってきました
この前、滋賀県の社会福祉協議会に広報紙を届けた帰りに、
ロビーにある糸賀一雄さんのコーナーに立ち寄りました。
県社協に行くと必ず立ち寄るのですが、
そこで「ご自由にお持ち帰りください」の張り紙が目に入り、
何かな・・・・近づくと・・・・
「共生社会等に関する基本理念等普及啓発事業」と
難解な文字が並んだテキストがありました。
主催は厚生労働省で実施は公益財団法人糸賀一雄
記念財団とあります。
ぺらぺらとページをめくると、最初が糸賀一雄語録・・・・
この段階でお持ち帰りが決まりました。
その次が、糸賀一雄生誕100年記念誌~生きることが光になる~の
テーマで30人近い人が寄稿しています、
知った人の名前も数人ありましたので、
これは帰ってゆっくり読もうとしっかり握りなおして、
ペラペラ・・・
最後が「相模原障害者施設殺傷事件に関する市民の声」
うわー、重たい・・・でも目を背けてはいけない、
そう思ってもらってきました。
家に帰って早速目を通しました。
糸賀一雄さんの語録は共感するもののありますが、
自分のことを言われている・・・・
そんな気にさせられるものもあります。
【近江学園自体がこの世の中から特別視されており、そのなかでさえも障害の種類や程度によって子どもたちが特殊として差別される。
この子たちのためと称しながら。
その根底には一般のいわゆる「健全な社会」を想定して、そこからはみ出したものとしての「特殊な社会」をつくってしまうのである。
私たちの心の奥深いところに巣くっているこの差別的な思想、特殊観念というものは、その正体はいったいどういうものであろうか】
【どんな子どもであっても、それなりによりよい姿になっていくものである。
重症の子どもの場合には、それはひじょうにわずかであるが、それでもそういうかわっていくいとなみがある。
それは、人間の子どもが歩む発達の法則性から、決してはずれたものではない。
それどころか、よそ目はそれと見えなくても、この子たちの心のなかには、少しずつよくなろうとする気持ちが芽生えているのである。】
この文章を読んでいて、ひきこもり・不登校の当事者や
家族も世間からは特別視され、差別に近い
扱いを受けているのではないか。
親を通しての場合が多いのですが、半年とか1年のスパンで
当事者の様子を見ていると、何とかしよう、このままではアカン、
そんな気持ちや行動を感じる当事者がほとんどで、
どこか共通したものを感じます。
ロビーにある糸賀一雄さんのコーナーに立ち寄りました。
県社協に行くと必ず立ち寄るのですが、
そこで「ご自由にお持ち帰りください」の張り紙が目に入り、
何かな・・・・近づくと・・・・
「共生社会等に関する基本理念等普及啓発事業」と
難解な文字が並んだテキストがありました。
主催は厚生労働省で実施は公益財団法人糸賀一雄
記念財団とあります。
ぺらぺらとページをめくると、最初が糸賀一雄語録・・・・
この段階でお持ち帰りが決まりました。
その次が、糸賀一雄生誕100年記念誌~生きることが光になる~の
テーマで30人近い人が寄稿しています、
知った人の名前も数人ありましたので、
これは帰ってゆっくり読もうとしっかり握りなおして、
ペラペラ・・・
最後が「相模原障害者施設殺傷事件に関する市民の声」
うわー、重たい・・・でも目を背けてはいけない、
そう思ってもらってきました。
家に帰って早速目を通しました。
糸賀一雄さんの語録は共感するもののありますが、
自分のことを言われている・・・・
そんな気にさせられるものもあります。
【近江学園自体がこの世の中から特別視されており、そのなかでさえも障害の種類や程度によって子どもたちが特殊として差別される。
この子たちのためと称しながら。
その根底には一般のいわゆる「健全な社会」を想定して、そこからはみ出したものとしての「特殊な社会」をつくってしまうのである。
私たちの心の奥深いところに巣くっているこの差別的な思想、特殊観念というものは、その正体はいったいどういうものであろうか】
【どんな子どもであっても、それなりによりよい姿になっていくものである。
重症の子どもの場合には、それはひじょうにわずかであるが、それでもそういうかわっていくいとなみがある。
それは、人間の子どもが歩む発達の法則性から、決してはずれたものではない。
それどころか、よそ目はそれと見えなくても、この子たちの心のなかには、少しずつよくなろうとする気持ちが芽生えているのである。】
この文章を読んでいて、ひきこもり・不登校の当事者や
家族も世間からは特別視され、差別に近い
扱いを受けているのではないか。
親を通しての場合が多いのですが、半年とか1年のスパンで
当事者の様子を見ていると、何とかしよう、このままではアカン、
そんな気持ちや行動を感じる当事者がほとんどで、
どこか共通したものを感じます。
Posted by いとう茂 at
21:12
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