2015年05月23日

大きい犬の思いで

台所に小さい骨壺があります。
てっきり捨ててしまったと思っていた大きい犬の犬歯が
しっかり残っていました。

大きい犬が若い頃は悪ふざけが過ぎて、噛まれて血が出たことが
何度もありました。
老犬になり噛まれても血が出るほどのことがなかったのは
もしかすると大きい犬の思いやりだったのかと火葬場で
骨を拾いながら感じました。

人は大切なものを失って初めて、大切なものだったと気づく
事が多々あります。
それも、何度も同じ間違いをして同じ反省をするのですが、また・・・・。
今回もそうです、形や状況は違っても、また・・・・・です。

失うというのは死んでからということだけでなく、何気ない一言や
一時の身勝手な行動、時には長い間の積み重ね、自分ではこれでいいと
誰かに甘えてきた、許されていると思っていたことが実は誰かを深く傷をつけて
いた、ということはよくあることです、本人は単なる勘違いだと
軽く受け止めていたことが、元に戻らない溝になってしまう。

同じ間違いを何度しても大きな罰があたらない、気の長い神様と仏様に感謝です。

もしかすると、人間はそういう生き物なのか私がそういう人間なのか・・・・。
たぶん後者です。

犬によらず、すべての生き物は周囲の好意や思いやりによって生かされている、
そのことを犬は身を持って教えてくれたのでしょうか。


今日の午前中は滋賀県主催のごみゼロでした、膳所公園一帯と
なぎさ公園を小学生から大人まで、多くの方が参加して清掃活動を
行いました、湖岸にはビニール袋やペットボトル、空き缶などが
散乱している所もあり分別して美化に努めました。
私は公園の中の倉庫裏や橋の下を清掃しました、2月のヨシ刈りのときにも
自転車が投棄されており、今回も自転車、ファンヒーター、バッテリーなど
大きなものが捨てられていました。

昨年は植え込みの中に古タイヤが数本捨てられているのをハーハー言いながら
引っ張り出して回収しました、人目に付きにくいところに捨てるのは捨てる人間にも
多少の良心があるのかと思いますが、回収する側にとっては
結構な労力が要ります。
拾う経験をすると捨てなくなるといいますが、こうした清掃活動に
捨てる人はおそらく参加しないのでしょう。

これから人と会う約束がありますが、帰ってきたら一般質問の作成です。
もう日がありません、心のゆとりは時間のゆとりがあってのこと、
昨日の学区の歓送迎会で聞いた言葉です。
当たり前のことですが、身にしみます。



Posted by いとう茂 at 12:58│Comments(1)
この記事へのコメント
凄く共感しました
人は失ってはじめてその大切さがわかるんですよねぇ
お子様を亡くされた方
同じ目に遭わなければその苦しみはわかりません
身体が悪い方
同じようにならないとその苦しみはわかりません
苦しいことも楽しいことも別れも出愛も
全て、偶然ではなく必然
私達は決められた人生を歩ませていただいている
生きている・・・・のではなく
生かされてるのですねぇ
Posted by ガチャピンガチャピン at 2015年05月23日 13:07
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