2015年06月05日
陽気に誘われて
昨日は少し風が強かったものの爽やかな天気でした。
そんな陽気に誘われて・・・・・。
隣の競技場までトコトコ、タイムスリップをしてきました。
カラフルなテントが並び高校生が大勢行き来する通路を
すり抜けてお目当てはバックストレッチのピットです。
高体連の初日のプログラムに昔は棒高跳びがありました、
市役所の控え室からは3コーナーのあたりしか見えず、
イライラするくらいならと思い、ついつい見に行った次第です。
4コーナーの入り口から見ると棒高跳びが始まっています。
昔と同じだと思いながら近寄っていくと、昔と決定的に違うことが
ありました、使っているポールがまったく違います、昔は
グラスファイバーでしたが今はカーボンです、硬さはポンドで表示されて
いますが、それは昔と同じです。
40年以上前でもグラスのポールは3万円から4万円していました。
高卒の初任給と同じくらいです、今のカーボンがいくらするのか
知りませんが、選手はほとんど2本以上持っていました。
走り高跳びもバーを越える競技ですが、スタンドの位置は固定です、
棒高跳びは高さの計測が終わるとスタンドを前後に移動できます。
スタートラインも投てきのサークルも動かすことはできませんし、
幅跳びや三段跳びの踏み切り板も固定です。
唯一棒高跳びだけが自分の体が一番高く上がるポイントに
スタンドを移動できます、どこか拘束されるのが嫌いな自分に
あっているようで、100Mでは間に合わない自分を思い知らされ
迷わず転向しました。
高校3年生の時の春の高体連は滋賀県で3位でした。
トコトコ行った棒高跳びのピットのバーの高さは、3位になった高さで、
6名以上が残っていました。
今なら6位に入れずインターハイ予選の近畿大会には出場
できません、時間の経過で道具もよくなり指導者のレベルも
上がっているのですから当然のことですが、早くに生まれていて
よかったと思ったのと、誰も教えてくれる人がいなかった当時、
自分で空中姿勢をイメージしながら試行錯誤の繰り返し、携帯でも
動画が手軽に撮影でき、指導者がいなくても自分で自分のフォームを
確認できる今ならどのくらいの記録を残せたのだろう、
考えても詮無きことですが、そんな気持ちが入り混じり複雑な思いになり
30分ほどで役所に戻りました。
二度と戻ることはできませんが、あの時の3位は、前の年の秋の
新人戦に続いてのもので、もうひとつ前の近畿ジュニアでも3位でした。
どうしても勝てない二人がいました、そして覚悟を決めて臨んだ冬季練習、
握力がなくなりカッターのボタンがはめられない、
家に帰って箸が持てず、スプーンをわしづかみにして食事をしていた、
そして、そんなことが苦にならなかった。
あの時の、がんばりを考えると、精一杯の結果だったと思います、
そんな私に、高校生活最後の8月の県体で神や仏は初めて
滋賀県で優勝というご褒美を下さった。
自分を追い込んだらここまでできるんだ。
そんな手応えや自信、それを支えに負けへんわ、と、生きてきた部分があります。
人間、性善説で生きる方が前向きに生きられる気がするのも
そんな影響かもしれません。
そんな陽気に誘われて・・・・・。
隣の競技場までトコトコ、タイムスリップをしてきました。
カラフルなテントが並び高校生が大勢行き来する通路を
すり抜けてお目当てはバックストレッチのピットです。
高体連の初日のプログラムに昔は棒高跳びがありました、
市役所の控え室からは3コーナーのあたりしか見えず、
イライラするくらいならと思い、ついつい見に行った次第です。
4コーナーの入り口から見ると棒高跳びが始まっています。
昔と同じだと思いながら近寄っていくと、昔と決定的に違うことが
ありました、使っているポールがまったく違います、昔は
グラスファイバーでしたが今はカーボンです、硬さはポンドで表示されて
いますが、それは昔と同じです。
40年以上前でもグラスのポールは3万円から4万円していました。
高卒の初任給と同じくらいです、今のカーボンがいくらするのか
知りませんが、選手はほとんど2本以上持っていました。
走り高跳びもバーを越える競技ですが、スタンドの位置は固定です、
棒高跳びは高さの計測が終わるとスタンドを前後に移動できます。
スタートラインも投てきのサークルも動かすことはできませんし、
幅跳びや三段跳びの踏み切り板も固定です。
唯一棒高跳びだけが自分の体が一番高く上がるポイントに
スタンドを移動できます、どこか拘束されるのが嫌いな自分に
あっているようで、100Mでは間に合わない自分を思い知らされ
迷わず転向しました。
高校3年生の時の春の高体連は滋賀県で3位でした。
トコトコ行った棒高跳びのピットのバーの高さは、3位になった高さで、
6名以上が残っていました。
今なら6位に入れずインターハイ予選の近畿大会には出場
できません、時間の経過で道具もよくなり指導者のレベルも
上がっているのですから当然のことですが、早くに生まれていて
よかったと思ったのと、誰も教えてくれる人がいなかった当時、
自分で空中姿勢をイメージしながら試行錯誤の繰り返し、携帯でも
動画が手軽に撮影でき、指導者がいなくても自分で自分のフォームを
確認できる今ならどのくらいの記録を残せたのだろう、
考えても詮無きことですが、そんな気持ちが入り混じり複雑な思いになり
30分ほどで役所に戻りました。
二度と戻ることはできませんが、あの時の3位は、前の年の秋の
新人戦に続いてのもので、もうひとつ前の近畿ジュニアでも3位でした。
どうしても勝てない二人がいました、そして覚悟を決めて臨んだ冬季練習、
握力がなくなりカッターのボタンがはめられない、
家に帰って箸が持てず、スプーンをわしづかみにして食事をしていた、
そして、そんなことが苦にならなかった。
あの時の、がんばりを考えると、精一杯の結果だったと思います、
そんな私に、高校生活最後の8月の県体で神や仏は初めて
滋賀県で優勝というご褒美を下さった。
自分を追い込んだらここまでできるんだ。
そんな手応えや自信、それを支えに負けへんわ、と、生きてきた部分があります。
人間、性善説で生きる方が前向きに生きられる気がするのも
そんな影響かもしれません。
Posted by いとう茂 at 12:56│Comments(0)