2024年09月16日

敬老の日

今日は敬老の日、いつの頃からか忘れましたが、おじいちゃん、おばあちゃんが身近になり他人ごとから自分のことかと認識しています。
65歳の前期高齢者もそうですが、自分がその年に到達し高齢者の仲間入りかと考えると、感慨深いものがありました。
高齢者という言葉に対する反発ではなく、いつの間にかそんなに年齢を重ねてきた自分に対して、流れていった時間の密度、歩いてきた人生の足跡への満足度とか充足感、そのバランスが受け入れにくくて、戻れないとはわかっていても悔いと反省、そして感謝と自己満足と諦め。
日本の高齢者は3625万人というニュースがあり、4人に1人が仕事をしているということでした。
逆に言えば、4人に3人は年金暮らしでのんびりかどうかわかりませんが、生きているという現実。
来年には団塊の世代がすべて後期高齢者になります、こうした年代も含めて4人のうち3人ですから、仕事をしなくても生きていける人がそれだけいても不思議ではないのかと一人で納得しています。
それでも4人のうち1人は仕事をしなくてはならない、それも若い人が就労しない分野の清掃業や警備の仕事に流れている高齢者は、かなりの数に上ると感じています。
清掃業なら休憩時間を入れて9時間労働が普通だと思いますが、警備の方は施設警備の夜勤なら12時間勤務は少なく、多くは15時間の拘束が普通で何時から休憩と決まっている場合も少ないようです。
ハローワークの求人は実働8時間になっていますが・・・・。
道路の交通整理の方は休憩を入れて9時間が普通でも、この猛暑に道路に立って交通整理、もちろん交代で行う場合が多く、休憩時間は多くなりますが、体への負担は大きいと思います。
それでも働ける場所があるだけでもありがたいと感じている高齢者が多いのも現実だと考えます。
大げさに言うなら若い年代が社会を切り開き、高齢者は舞台裏でそれを支える、そんな役割かも知れません。
敬ってもらわなくてもいいのです、気が付けば高齢者に分類される年齢になっていたのですから、誰もが通る道です。
ここからでも周りをゆっくり見られるゆとりをもって生きていけたらと願います。
明日は中秋の名月、見られるうちはゆっくり見ておこう・・・。

Posted by いとう茂 at 22:34│Comments(0)
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