2013年01月30日

さて、何を・・・・・

パソコンに向かい、さて何を書こうかと考えていて、
頭に浮かんだのは、先日、同室の藤井哲也議員から
「伊藤さん、人生ってなんっすか」と、突然質問されました。

いきなりズバッと直球で難解な質問です。
「そういえば、芭蕉は人生は旅やて言うてたなぁ、
ただ、旅はいつか家に帰るけど人生は行ったきりやし
山頭火は放浪、当てもなくさまよう、個人的にはこっちの方が
しっくりくるけど・・・・」
「旅っすか、放浪っすか、でも人生って短いっすね」
私の回答も回答になっていなかったが、藤井議員の人生が
短いという返事も意外でした。

彼はまだ30代半ばです、私とは二回りも違うのに、その彼の口から
人生は短いという言葉が出るなんて、私はどうすればいい。

悩むこと苦しむこと感謝すること謝罪すること、時々喜ぶこと。
そんなことが人生だと思っていた時期があります。
しかし、それらは日々の中で起きる出来事に対してのことであり、
人生そのものではありません。

ただ、それらの蓄積が人生を形成していることは確かで、
あながち間違っているとも思えないのも事実です。
自分も過去には藤井議員のように人生について
周囲の人と議論したことがあります。
生きた証しを残すこと、そう答える人もいました。
生まれた命は必ずなくなる、人間は死への恐怖を
無意識のうちにどこかに持っている。
だからその恐怖から逃れるために、何かに没頭する。
信仰であったり、仕事であったり、誰かを愛したり、
時には誰かを憎むことさえ死の恐怖から逃れる術になる。
そんな哲学的なというか抽象的なことを考えもしました。

凡人の気づきなど先人がほとんど気づいていて
活字として世に出ています。

ネットで検索すると若山牧水も藤本義一も吉川英治も
人生は旅だと言っています。
その中で藤本義一は己を探す旅だと言い、
芭蕉は行きかう年もまた旅人なりと言っています。

漠然とは理解できますが、人生そのものの意味は
はっきりと見えてきません。
見えないものを見ようとする努力が人生でしょうか。

ぐるぐる回り、何度もふりだしです。
難しく考えるのも簡単に考えるのも人生かも知れません。

超意訳の熟語を思い出しました。
会者定離     愛別離苦     生者必滅    一蓮托生
あえばかなしい わかれのつらさ どうせしぬなら いっしょにいこう

今はノー天気でもいいか。
棺の蓋が閉まる少し前には何か見えてくるでしょう。
たった一つの大切を大切に・・・・・。

Posted by いとう茂 at 12:49│Comments(0)
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