2013年05月21日

げんき通信②

横顔に思う

電車に乗っていて、ふっと横を見るとすごい美人が座っている、
端正な顔立ちの男性が座っている。
降りる時にちらっと見ると普通のどこにでもある顔だった。
そういう経験をお持ちの方は多いのではないでしょうか。

横顔美人とでもいえばいいのでしょうか。
そういえば、講演で講師の紹介をするときにプロフィールと言いますが、
その意味を調べると、横顔、輪郭図で描いたもの、
側面図、人物の略歴とあります。
横顔というのであれば、プロフィールとは、
必ずしもその人を正確には表現していないこととも受け取れます。

私たちは日常生活の中で、無意識に横顔をその人全体だと
思い込んでいることがあるのではないか、そんな疑問が湧いてきました。

会議や会合で会う人を見て私生活をその延長線で考えてしまう。
発言の内容や態度、委員長や会長の職務を
滞りなく処理する姿を見て鵜呑みにしてしまう所があります。

利害関係が発生しなければそれでもいいのかもしれませんが、
それでも、深く人間同士の付き合いを末永く続けたいと願う時でも案外、
安易に考えて後々、あんな奴だと思わなかったという後悔や落胆の声もよく聞きます。

人は無意識のうちに自分をよく見せようという意識が働く生き物だと思います。
まして、それなりの年を重ねてきた人なら立場もあるでしょうから、
世間からの目は気にもなるでしょうし身構えもするでしょう。

人間関係に疲れることが多い人はこのあたりの、
人を見抜く感性が鋭いのかもしれません。

本音を相手に伝えると人間関係にひびが入る、
相手が周囲に自分の悪口を吹聴しないとも限らない。

それも修復に手間ひまがかかり、よけい疲れることを
身をもって知っているからズルズルと不本意な人間関係を引きずることになる。

人と人が正面から向き合って付き合うことは難しいのでしょうか。

それとも、向き合うと気づまりで窮屈だから疲れてしまう、
その事を意識のどこかで知っているから向き合わないのでしょうか。
あるいは、横顔の付き合いの方が楽しく罪がない、
そのことで自分が傷つくことを防いでいるのでしょうか。
その人の全人格を知ることは困難なことで、
知ったところでどうにもならない部分が許せず、けんか別れが落ちだと思います。

昔の人が言ったように「浅く契って末まで遂げる」そのことが、
本当はいいのかもしれません。

そんなわけでもないのですが、いや、そんなわけだから、
電車に乗ると、
ついつい横顔美人を懲りもせずに探している自分なのでしょうか・・・・。

Posted by いとう茂 at 15:21│Comments(0)
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