2025年03月21日
孫来る
春休みが始まって上の娘の子どもが一人でやってきました。
来月から高校で、この休みはほとんど制限がなく遊ぶことができます。
今日から2泊か3泊の予定で、羽根を伸ばすことになります。
お手伝いはあまり期待できませんが、食べるもののリクエストもなく、どこかに行きたいと言うでもなし、ゲームと犬をかまって過ごすことになります。
それでも、普段は静かな家がにぎやかで華やかな雰囲気になります。
うちに来るのは今年に入って3度目ですが、これがいつまで続くのか、じいじとばあばが元気でも孫にもいろいろな予定があります。
そのうちこちらに向かう足が遠のくことも予想できます。
それは孫の成長・・・と簡単に割り切れるか・・・。
ともあれ、先のことは考えずにうちにいる間は互いにいい時間を持ちたいと願っています。
来月から高校で、この休みはほとんど制限がなく遊ぶことができます。
今日から2泊か3泊の予定で、羽根を伸ばすことになります。
お手伝いはあまり期待できませんが、食べるもののリクエストもなく、どこかに行きたいと言うでもなし、ゲームと犬をかまって過ごすことになります。
それでも、普段は静かな家がにぎやかで華やかな雰囲気になります。
うちに来るのは今年に入って3度目ですが、これがいつまで続くのか、じいじとばあばが元気でも孫にもいろいろな予定があります。
そのうちこちらに向かう足が遠のくことも予想できます。
それは孫の成長・・・と簡単に割り切れるか・・・。
ともあれ、先のことは考えずにうちにいる間は互いにいい時間を持ちたいと願っています。
Posted by いとう茂 at
12:50
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2025年03月19日
ひとりごと
つくしよ、どうしてる。
もうすぐお前が逝って4か月やな。
お前は賢かったな、今はげんきに振り回されててるわ。
お前みたいにじっと話を聞いてくれへんし、すぐに服に噛みついてじゃれてくるわ。
じっとしてるのはエサをもらうときくらいや。
お前に線香をあげるのを忘れてる時がある、仏さんは線香の煙が好物なのにな。
かんにんやで、もっとおいしいエサを買ってやったらよかったな。
げんきはお前のおかげでおいしいエサを食べてるよ、ごめんな。
お前はお前、げんきはげんきやと分かってるのについつい比べてるよ。
げんきにしたら辛いことかも知れんな。
食べるものも違う、朝の納豆なんか見向きもしよらへんわ。
お前に納豆を1パック食わしてやろうと思ってたのに、物忘れの激しい飼い主やったよ。
シートを敷いててもあっちこっちで「おしっこ」と「うんこ」、お前は外すこともあったけどシートの近くやったから後始末も楽やったよ。
振り回されてるけど、げんきも可愛いと思ってる自分がいるわ。
生き物が好きなんやわ、特に犬と馬が好きや。
これから暑くなると、げんきを風呂に入れる役が回ってくるけど、お前は毛が短くて拭くのも楽やったけど、げんきは毛が長いから邪魔くさいよ。
風呂から上がると床に体をこすりつけてたお前を思い出すわ。
げんきは行儀が悪いよ、机に前足を乗せて食べてる皿に顔を突っ込んできて困ってるよ。
お前みたいにちょこんと座って待っててくれたらいいんやけど、それができないよ。
氏より育ちというけど、お前は氏がよかったんやな。
お前は先に死んでしもたけど、今度はげんきの方が長生きするかもしれんよ。
エス、クロ、つくしと飼ってきて、げんきが最後の犬になるわ。
お前と遊びたいけど、もうちょっと待っててくれよ、何も持っていけへんけど、そのうちいっぱい遊べる時が来るから。
もうすぐお前が逝って4か月やな。
お前は賢かったな、今はげんきに振り回されててるわ。
お前みたいにじっと話を聞いてくれへんし、すぐに服に噛みついてじゃれてくるわ。
じっとしてるのはエサをもらうときくらいや。
お前に線香をあげるのを忘れてる時がある、仏さんは線香の煙が好物なのにな。
かんにんやで、もっとおいしいエサを買ってやったらよかったな。
げんきはお前のおかげでおいしいエサを食べてるよ、ごめんな。
お前はお前、げんきはげんきやと分かってるのについつい比べてるよ。
げんきにしたら辛いことかも知れんな。
食べるものも違う、朝の納豆なんか見向きもしよらへんわ。
お前に納豆を1パック食わしてやろうと思ってたのに、物忘れの激しい飼い主やったよ。
シートを敷いててもあっちこっちで「おしっこ」と「うんこ」、お前は外すこともあったけどシートの近くやったから後始末も楽やったよ。
振り回されてるけど、げんきも可愛いと思ってる自分がいるわ。
生き物が好きなんやわ、特に犬と馬が好きや。
これから暑くなると、げんきを風呂に入れる役が回ってくるけど、お前は毛が短くて拭くのも楽やったけど、げんきは毛が長いから邪魔くさいよ。
風呂から上がると床に体をこすりつけてたお前を思い出すわ。
げんきは行儀が悪いよ、机に前足を乗せて食べてる皿に顔を突っ込んできて困ってるよ。
お前みたいにちょこんと座って待っててくれたらいいんやけど、それができないよ。
氏より育ちというけど、お前は氏がよかったんやな。
お前は先に死んでしもたけど、今度はげんきの方が長生きするかもしれんよ。
エス、クロ、つくしと飼ってきて、げんきが最後の犬になるわ。
お前と遊びたいけど、もうちょっと待っててくれよ、何も持っていけへんけど、そのうちいっぱい遊べる時が来るから。
Posted by いとう茂 at
13:23
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2025年03月18日
太田先生
今朝の新聞の1面に太田先生が昨秋に亡くなり、先生の遺徳が掲載されていました。
太田先生は書道の先生で、60年以上も前のことですが毎週土曜日に習字を習っていました。
歩いて10分足らずのところに太田先生の自宅があり、その2階の和室に和机が並べられていました。
2・3年生だったと思いますが、楷書の字ではなくのびのびと半紙からはみ出すくらいの文字を書いていた記憶があります。
生徒が増えたのか家の裏手に部屋を増築して、そこで6年生まで習字を教えてもらいました。
「書の友」だったと思いますが、自分の名前が載り級や段が何か月かで上がっていくのも楽しみでしたし、琵琶湖に浮かぶ文化館で書初めの展覧会も開催されていました。
佳作、入選、金賞、そんな賞状が今も残っています。
習字を4・5年教えてもらいましたが、素地が悪いのか人に自慢できる字は書けませんが、高校の選択科目で音楽、美術、書道、では第1希望から第3希望まですべて書道にし、3年間書道で通しました。
ご縁は不思議なもので、高校の書道の教師が太田先生の弟で、そのご縁だけで書道の成績は結構いいものでした。
太田先生はいつの頃か山手に引っ越しをされ、出会う機会はなくなりましたが、奥さんとは大人になっても何度かお出会いすることがありました。
週に1回、それも子どものころだけなのに奥さんは覚えていて下さり、こちらも親しく挨拶をしていました。
子どもの頃に使っていた筆や硯はもうありませんが、形のない思い出だけは残っています。
太田先生のご冥福をお祈りいたします。
太田先生は書道の先生で、60年以上も前のことですが毎週土曜日に習字を習っていました。
歩いて10分足らずのところに太田先生の自宅があり、その2階の和室に和机が並べられていました。
2・3年生だったと思いますが、楷書の字ではなくのびのびと半紙からはみ出すくらいの文字を書いていた記憶があります。
生徒が増えたのか家の裏手に部屋を増築して、そこで6年生まで習字を教えてもらいました。
「書の友」だったと思いますが、自分の名前が載り級や段が何か月かで上がっていくのも楽しみでしたし、琵琶湖に浮かぶ文化館で書初めの展覧会も開催されていました。
佳作、入選、金賞、そんな賞状が今も残っています。
習字を4・5年教えてもらいましたが、素地が悪いのか人に自慢できる字は書けませんが、高校の選択科目で音楽、美術、書道、では第1希望から第3希望まですべて書道にし、3年間書道で通しました。
ご縁は不思議なもので、高校の書道の教師が太田先生の弟で、そのご縁だけで書道の成績は結構いいものでした。
太田先生はいつの頃か山手に引っ越しをされ、出会う機会はなくなりましたが、奥さんとは大人になっても何度かお出会いすることがありました。
週に1回、それも子どものころだけなのに奥さんは覚えていて下さり、こちらも親しく挨拶をしていました。
子どもの頃に使っていた筆や硯はもうありませんが、形のない思い出だけは残っています。
太田先生のご冥福をお祈りいたします。
Posted by いとう茂 at
13:00
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2025年03月17日
卒業
登校の時に「おはよう」というと膝に両手を当てて丁寧にお辞儀をして「おはよう」と返してくれる。
それから手を振って学校に向かう女の子も卒業です。
4年間見てきましたが小さい体も大きくなって、4月からは中学生です。
毎朝は見ませんし、いつも一人でしたので不登校気味かと思っていました。
寒い時には「寒いから風邪ひかんときや」暑い時には「熱中症になるとアカンから水分補給してや」夏休み前には「もうちょっとで夏休みやな」そんな声かけもしてきました。
過ぎてしまえば4年は早いものです、こちらもそれだけ年を重ねていますが、そんなことは気がつきません。
祖父が孫を見ている感覚です。
自分を振り返れば、人一倍やんちゃで手のかかる子どもでしたので、多くの地域の人に声掛けをしてもらっていたのだと思います。
叱責もあったと思いますが、声をかけてもらえるということは気にかけてもらっているということです。
その時にかけてもらった言葉のお礼、それに恩返しをしないうちに、多くの人は逝ってしまいました。
話がそれました、卒業はもう一人います。
直接相談を受けてはいませんが、えこーが居場所を提供している不登校の中学生も卒業です。
こちらは詳しいことは書けませんが、4月から高校に行くことが決まりました、対人関係の構築が苦手ですので、引き続き居場所の提供はしていこうと考えています。
環境が変わって友人がたくさんできることを願っています。
不登校の小学生が卒業し、中学に入学するケースもあります。
こちらは当事者にも相談者にもまだまだ寄り添いが必要で、面談を継続です。
不登校の子どもだけでなく、全ての子どもに明るく暖かい春が来ることを願います。
それから手を振って学校に向かう女の子も卒業です。
4年間見てきましたが小さい体も大きくなって、4月からは中学生です。
毎朝は見ませんし、いつも一人でしたので不登校気味かと思っていました。
寒い時には「寒いから風邪ひかんときや」暑い時には「熱中症になるとアカンから水分補給してや」夏休み前には「もうちょっとで夏休みやな」そんな声かけもしてきました。
過ぎてしまえば4年は早いものです、こちらもそれだけ年を重ねていますが、そんなことは気がつきません。
祖父が孫を見ている感覚です。
自分を振り返れば、人一倍やんちゃで手のかかる子どもでしたので、多くの地域の人に声掛けをしてもらっていたのだと思います。
叱責もあったと思いますが、声をかけてもらえるということは気にかけてもらっているということです。
その時にかけてもらった言葉のお礼、それに恩返しをしないうちに、多くの人は逝ってしまいました。
話がそれました、卒業はもう一人います。
直接相談を受けてはいませんが、えこーが居場所を提供している不登校の中学生も卒業です。
こちらは詳しいことは書けませんが、4月から高校に行くことが決まりました、対人関係の構築が苦手ですので、引き続き居場所の提供はしていこうと考えています。
環境が変わって友人がたくさんできることを願っています。
不登校の小学生が卒業し、中学に入学するケースもあります。
こちらは当事者にも相談者にもまだまだ寄り添いが必要で、面談を継続です。
不登校の子どもだけでなく、全ての子どもに明るく暖かい春が来ることを願います。
Posted by いとう茂 at
15:51
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2025年03月15日
冊子の原稿をいただきました
えこーのハートレターを「よかったら読んでください、こんなボランティアをしています」と手渡したのが1年ちょっと前でした。
そこからご縁がつながり、「子の心親知らず 親の心子知らず」の冊子第4号の原稿をお願いしました。
偶然手渡した人は元ひきこもりでした。
本人からそのことを聞いて、自分がひきこもっていたことを口に出せる勇気に感心しました。
今はひきこもりから脱して社会人として週5日フルタイムで仕事を15年間しています。
それでも時々「うつ」状態になることがあるそうです。
見開きの2ページ、2700字程度お願いできますかと、無理なリクエストをしたのですがパソコン打ちで、しっかり書いてくれました。
中期のひきこもりを3度経験した時に、友人から人に頼るのではなく「神」に頼ることを勧められ、大きな気づきがありクリスチャンになったそうです。
すべてを神にゆだねて結果は神がお決めになったことと、受け入れて生きているようです。
私よりもずいぶん若い人ですが、こうしたことができるのは、これまで自分であれこれ考えて苦しんできたからでしょう。
こちらのリクエストは2700字ですが、書きだしていくと6000字近くになり、それを半分に縮める作業が大変だったと言っていました。
「苦しいこと、辛いこと思い出させてごめんなさいね」そう言うと
けろっとした顔で「そんなことありませんでした」と返事がありました。
自分がひきこもっていた時のことを書くのは、誰もが避けたいでしょうし、思い出しても辛くないと言えばウソになります。
それを冊子にして多くの人が目にすると考えれば、断られても不思議ではありません。
それを嫌な顔もせずに書いてくれた元ひきこもりには感謝の念が堪えません。
どうぞ、冊子を読んだひきこもりが自分も前に進もうと行動を起こしてくれることを願います。
そこからご縁がつながり、「子の心親知らず 親の心子知らず」の冊子第4号の原稿をお願いしました。
偶然手渡した人は元ひきこもりでした。
本人からそのことを聞いて、自分がひきこもっていたことを口に出せる勇気に感心しました。
今はひきこもりから脱して社会人として週5日フルタイムで仕事を15年間しています。
それでも時々「うつ」状態になることがあるそうです。
見開きの2ページ、2700字程度お願いできますかと、無理なリクエストをしたのですがパソコン打ちで、しっかり書いてくれました。
中期のひきこもりを3度経験した時に、友人から人に頼るのではなく「神」に頼ることを勧められ、大きな気づきがありクリスチャンになったそうです。
すべてを神にゆだねて結果は神がお決めになったことと、受け入れて生きているようです。
私よりもずいぶん若い人ですが、こうしたことができるのは、これまで自分であれこれ考えて苦しんできたからでしょう。
こちらのリクエストは2700字ですが、書きだしていくと6000字近くになり、それを半分に縮める作業が大変だったと言っていました。
「苦しいこと、辛いこと思い出させてごめんなさいね」そう言うと
けろっとした顔で「そんなことありませんでした」と返事がありました。
自分がひきこもっていた時のことを書くのは、誰もが避けたいでしょうし、思い出しても辛くないと言えばウソになります。
それを冊子にして多くの人が目にすると考えれば、断られても不思議ではありません。
それを嫌な顔もせずに書いてくれた元ひきこもりには感謝の念が堪えません。
どうぞ、冊子を読んだひきこもりが自分も前に進もうと行動を起こしてくれることを願います。
Posted by いとう茂 at
10:42
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2025年03月14日
広報紙の配布が終わりました
月曜日に大津市役所と北部の市民センター、すこやか相談所に広報紙を配布し、昨日は南部に配布して発送も含めて広報紙の配布が終わりました。
今回はひきこもりの相談者と当事者が発送の準備をしてくれましたので、いつもよりも1日早く終わることができました。
最後にえこーのスタッフ宅に広報紙を持っていき、休憩を兼ねて情報を交換しました。
少し前にスタッフが腰を痛めていましたので、快復して元気になっているか心配していましたが、元気になっていていつも通り饒舌で安心しました。
私よりも一回りほど年長ですので健康でいてもらわないと、えこーの活動に支障が出ます。
配布した広報紙は約1500部、配布先は50余りで郵送分がおよそ200部になります。
郵便料金が値上げになり郵送分はえこーの会計を直撃ですが、おかげで賛助会員も増えて会費収入が増えていますので、今年度もいくらか繰り越しができます。
えこーを始めて丸7年になります、その間ほとんどの賛助会員とは疎遠になり、飲み会はもちろん会合にも出なくなり顔を合わせることがありませんが、それでも賛助会費を納入いただいて、ありがたいなぁの言葉しかありません。
広報紙が発行できるのもそうした人たちがいてくれるおかげです。
その人たちの声にならない声に後押しされて活動ができていることを実感することもしばしばで人は宝です。
次回の広報紙は冊子と一緒に配布したいので5月から6月になります。
支えてくれている賛助会員のためにも、より一層相談者と当事者に寄り添い1足分でも前に進まなければと感じています。
今回はひきこもりの相談者と当事者が発送の準備をしてくれましたので、いつもよりも1日早く終わることができました。
最後にえこーのスタッフ宅に広報紙を持っていき、休憩を兼ねて情報を交換しました。
少し前にスタッフが腰を痛めていましたので、快復して元気になっているか心配していましたが、元気になっていていつも通り饒舌で安心しました。
私よりも一回りほど年長ですので健康でいてもらわないと、えこーの活動に支障が出ます。
配布した広報紙は約1500部、配布先は50余りで郵送分がおよそ200部になります。
郵便料金が値上げになり郵送分はえこーの会計を直撃ですが、おかげで賛助会員も増えて会費収入が増えていますので、今年度もいくらか繰り越しができます。
えこーを始めて丸7年になります、その間ほとんどの賛助会員とは疎遠になり、飲み会はもちろん会合にも出なくなり顔を合わせることがありませんが、それでも賛助会費を納入いただいて、ありがたいなぁの言葉しかありません。
広報紙が発行できるのもそうした人たちがいてくれるおかげです。
その人たちの声にならない声に後押しされて活動ができていることを実感することもしばしばで人は宝です。
次回の広報紙は冊子と一緒に配布したいので5月から6月になります。
支えてくれている賛助会員のためにも、より一層相談者と当事者に寄り添い1足分でも前に進まなければと感じています。
Posted by いとう茂 at
13:54
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2025年03月13日
春が来たのかな
昨日は奈良東大寺二月堂でお水取りの儀式が行われました。
関西ではお水取りが終わると春が来ると言われています。
来週の二十日は春分の日ですし、十七日からは彼岸の入りになります。
春といえばスギ花粉の季節でもあります、天気予報では花粉の飛散がピークを迎えたと報道がありました。
50年ほど前から20年近く花粉症で苦労しました。
風邪に似た症状ですが熱は出ません、くしゃみと鼻水の嵐で全く仕事になりませんでした。
当時は花粉症という言葉もなく薬もなかったように思います。
今ほど多くの人が花粉症で苦しむことがなかったので医療も見過ごしていたのかもしれません。
春は花粉症、夏は熱中症、これも日本の四季の一つでしょうか。
インフルエンザもコロナも感染者は減っていますが、なくなったわけではありません。
病気や事故だけで命を失うとは限らない、目に見えない敵は四季を問わずに私たちの生命を狙っています。
個人の命だけでなく、そのうちこの地球も失うことが起こるかもしれない、春が来たと浮かれている間にもそうした危機が迫っている、
どうぞ春の夢でありますように・・・。
関西ではお水取りが終わると春が来ると言われています。
来週の二十日は春分の日ですし、十七日からは彼岸の入りになります。
春といえばスギ花粉の季節でもあります、天気予報では花粉の飛散がピークを迎えたと報道がありました。
50年ほど前から20年近く花粉症で苦労しました。
風邪に似た症状ですが熱は出ません、くしゃみと鼻水の嵐で全く仕事になりませんでした。
当時は花粉症という言葉もなく薬もなかったように思います。
今ほど多くの人が花粉症で苦しむことがなかったので医療も見過ごしていたのかもしれません。
春は花粉症、夏は熱中症、これも日本の四季の一つでしょうか。
インフルエンザもコロナも感染者は減っていますが、なくなったわけではありません。
病気や事故だけで命を失うとは限らない、目に見えない敵は四季を問わずに私たちの生命を狙っています。
個人の命だけでなく、そのうちこの地球も失うことが起こるかもしれない、春が来たと浮かれている間にもそうした危機が迫っている、
どうぞ春の夢でありますように・・・。
Posted by いとう茂 at
15:33
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2025年03月12日
広報紙の配布
3日の月曜日はえこーのハートレター15号の配布で走り回りました。
前夜の読書の続きに配布に出ましたので、ほとんど不眠状態で午後3時までと決めての配布でした。
隣接学区の平野をスタートして、逢坂、中央、長等の各市民センターに配布し、明日都の子ども若者総合相談窓口、中すこやかセンター、大津社協、男女共同参画課、教育相談センター、大津保健所と回って時間がかかる大津市役所へ、まずは広報課に行き記者クラブに配布してもらう広報紙を置いて秘書課へ、そこからエレベーターで5階の子ども未来局へ・・・別館1階に移転しています。
別館に行く前に賛助会員になっている職員の元へ行き、子ども家庭相談室、そして子ども未来局でした。
最後は議会です、いつも優しく迎えてくれる職員さんの笑顔に接して息切れもなくなりました。
定例会議中で10日は分科会が開催されており、それほど控室にいる議員は多くなかったのですが、久しぶりに出会う議員もいて話し込みました。
市役所の配布を終えて、ここで昼食にしました。
少しずつ睡魔がやって来ますが、そこから和邇、小野、真野北、真野、堅田の市民センターとすこやか相談所を回って雄琴、坂本、滋賀の市民センターで、いい時間になり月曜日は打ち止めにしました。
残りは明日の木曜日に配布して終わろうと思います。
今回はひきこもり親子が広報紙の発送を手伝ってくれましたので、賛助会員と私の友人関係の広報紙、200通ほどを先に発送していますので、いつもよりも早く終了することができます。
次回の発行は5月末か6月を予定しています、冊子をそれに合わせて完成させて配布は1度で終わろうと考えています。
えこーの思いがいっぱい詰まった広報紙、一人でも多くの人に読んでもらってひきこもり・不登校の理解が深まることを願っています。
前夜の読書の続きに配布に出ましたので、ほとんど不眠状態で午後3時までと決めての配布でした。
隣接学区の平野をスタートして、逢坂、中央、長等の各市民センターに配布し、明日都の子ども若者総合相談窓口、中すこやかセンター、大津社協、男女共同参画課、教育相談センター、大津保健所と回って時間がかかる大津市役所へ、まずは広報課に行き記者クラブに配布してもらう広報紙を置いて秘書課へ、そこからエレベーターで5階の子ども未来局へ・・・別館1階に移転しています。
別館に行く前に賛助会員になっている職員の元へ行き、子ども家庭相談室、そして子ども未来局でした。
最後は議会です、いつも優しく迎えてくれる職員さんの笑顔に接して息切れもなくなりました。
定例会議中で10日は分科会が開催されており、それほど控室にいる議員は多くなかったのですが、久しぶりに出会う議員もいて話し込みました。
市役所の配布を終えて、ここで昼食にしました。
少しずつ睡魔がやって来ますが、そこから和邇、小野、真野北、真野、堅田の市民センターとすこやか相談所を回って雄琴、坂本、滋賀の市民センターで、いい時間になり月曜日は打ち止めにしました。
残りは明日の木曜日に配布して終わろうと思います。
今回はひきこもり親子が広報紙の発送を手伝ってくれましたので、賛助会員と私の友人関係の広報紙、200通ほどを先に発送していますので、いつもよりも早く終了することができます。
次回の発行は5月末か6月を予定しています、冊子をそれに合わせて完成させて配布は1度で終わろうと考えています。
えこーの思いがいっぱい詰まった広報紙、一人でも多くの人に読んでもらってひきこもり・不登校の理解が深まることを願っています。
Posted by いとう茂 at
12:36
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2025年03月10日
曽野綾子が亡くなりました
城山三郎、伊藤肇、小島直記、中野孝次、男性の作家でほぼ同年代、しかも親父と同年代の人たちです。
女性では曽野綾子のファンです、お袋と同年です。
好きな作家が両親の年代ということもご縁かも知れません。
曽野綾子の作品との出会いは、幼稚園のバザーで「戒老録」を50円で買った時からで、もう40年近く前になります。
「戒老録」は3段階あり、バザーのが1段目だとすると2段目が増補版、そして3段目が完本になります。
3冊とも本棚にあるはずですが、まだどれも再読していません。
50円の本を読んで驚いたのは作品を書いた時、曽野綾子は40代だったということです。
短い文章ですが項目ごとに「なるほど」と感心させられることが多く、まさか40代の人間が書いたものだとは思いませんでした。
エッセーを読んでいて感じるのは、なんとストレートな書きっぷり、歯に衣を着せない文章は気分が晴れますが、どこかから苦情が来ないか心配になります。
子どもの頃から強度の弱視で、自分のことを目くらと書いてはばからない人でした。
手術で視力を取り戻し、新しい人生を得てからの作品はより視点が鋭くなったようにも感じます。
晩年は、これまでの出版された作品をリメイクしたものも多く、タイトルだけで選ぶと、あれっ、これ読んだ記憶がある文章・・・。
そんなこともありました。
そういえば日曜日の読書では、曽野綾子の作品を読んでいないことに気が付きました、本棚にはかなりの冊数があります。
4月からは再読を始めたいと考えています。
女性では曽野綾子のファンです、お袋と同年です。
好きな作家が両親の年代ということもご縁かも知れません。
曽野綾子の作品との出会いは、幼稚園のバザーで「戒老録」を50円で買った時からで、もう40年近く前になります。
「戒老録」は3段階あり、バザーのが1段目だとすると2段目が増補版、そして3段目が完本になります。
3冊とも本棚にあるはずですが、まだどれも再読していません。
50円の本を読んで驚いたのは作品を書いた時、曽野綾子は40代だったということです。
短い文章ですが項目ごとに「なるほど」と感心させられることが多く、まさか40代の人間が書いたものだとは思いませんでした。
エッセーを読んでいて感じるのは、なんとストレートな書きっぷり、歯に衣を着せない文章は気分が晴れますが、どこかから苦情が来ないか心配になります。
子どもの頃から強度の弱視で、自分のことを目くらと書いてはばからない人でした。
手術で視力を取り戻し、新しい人生を得てからの作品はより視点が鋭くなったようにも感じます。
晩年は、これまでの出版された作品をリメイクしたものも多く、タイトルだけで選ぶと、あれっ、これ読んだ記憶がある文章・・・。
そんなこともありました。
そういえば日曜日の読書では、曽野綾子の作品を読んでいないことに気が付きました、本棚にはかなりの冊数があります。
4月からは再読を始めたいと考えています。
Posted by いとう茂 at
22:24
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2025年03月09日
日曜日の読書より
この前の日曜日は中野孝次の「本物の生き方」の再読が終わりました。
堅苦しいタイトルですが、おそらく作家自身も同様の人だったと思います。
それでもこのドイツ文学専攻の堅物作家のファンです。
新しく城山三郎の「雄気堂々」の上巻と小島直記の「人間的強さの研究」の再読を始めました。
好きな作家の作品はやはり読むのも早く、作品に没頭してしまいます。
一晩で4冊を順に読んでいますので、1冊が1時間余りの読書になります。
城山三郎の方はかすかに読んだ記憶が残っていますが、小島直記の方は初めて読む気分です。
どちらも少し昔の作品ですので忘れていても不思議ではないのですが、記憶した内容はどこに消えるのか・・・。
パソコンならゴミ箱がありますが、頭にはゴミ箱がありません。
覚えている機能がありますが、思い出す機能は極めて曖昧で最初から思い出したいのに、決まってどうでもいい途中を思い出して最初が出てくるのは何日も経ってからになります。
出て来ればいい方で、思い出すということを忘れてしまう自分がいます。
再読も同様です、日曜日の読書でこれまでに70冊ほどの再読をしましたが、作品のタイトルを見て内容をどれだけ思い出せるか、こちらも疑問符が付きます。
ただ、読んでいてその先の内容を思い出すことはよくありますので、再読の意味はあると自己満足しています。
本棚にはこの先読む本がかなりあります、おそらく・・・確実に私の命の方が早く尽きます。
その後の本たちは資源回収かブックオフになるのでしょう、本たちに読み手を選ぶ事はできませんが、これもご縁と諦めてもらいたいと考えています。
堅苦しいタイトルですが、おそらく作家自身も同様の人だったと思います。
それでもこのドイツ文学専攻の堅物作家のファンです。
新しく城山三郎の「雄気堂々」の上巻と小島直記の「人間的強さの研究」の再読を始めました。
好きな作家の作品はやはり読むのも早く、作品に没頭してしまいます。
一晩で4冊を順に読んでいますので、1冊が1時間余りの読書になります。
城山三郎の方はかすかに読んだ記憶が残っていますが、小島直記の方は初めて読む気分です。
どちらも少し昔の作品ですので忘れていても不思議ではないのですが、記憶した内容はどこに消えるのか・・・。
パソコンならゴミ箱がありますが、頭にはゴミ箱がありません。
覚えている機能がありますが、思い出す機能は極めて曖昧で最初から思い出したいのに、決まってどうでもいい途中を思い出して最初が出てくるのは何日も経ってからになります。
出て来ればいい方で、思い出すということを忘れてしまう自分がいます。
再読も同様です、日曜日の読書でこれまでに70冊ほどの再読をしましたが、作品のタイトルを見て内容をどれだけ思い出せるか、こちらも疑問符が付きます。
ただ、読んでいてその先の内容を思い出すことはよくありますので、再読の意味はあると自己満足しています。
本棚にはこの先読む本がかなりあります、おそらく・・・確実に私の命の方が早く尽きます。
その後の本たちは資源回収かブックオフになるのでしょう、本たちに読み手を選ぶ事はできませんが、これもご縁と諦めてもらいたいと考えています。
Posted by いとう茂 at
18:17
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