2022年03月02日
認知症、ボケ、痴呆・・・それでも親
認知症、ボケ、痴呆、私にはこの3つの区別がつきません。
90歳になる母親のことですが、医師の話では認知症ということで、
字面からは一番当事者のプライドを傷つけない言葉のように感じます。
ネットで調べればわかるのだと思いますが、認知症と診断されている母親が、
実は痴呆に一番近い、となると母親のプライドを
息子が傷つけてしまいそうで・・・・調べません。
入院してから2か月以上になりますが、コロナで家族の面会も叶いません。
1か月ほど前に弟が廊下ですれ違った時に、
息子だと分からなかったということで、想像以上に進行が速いのに
驚いています。
まだこの先3か月ほどは病院暮らしで、面会もいつになればできるのか、
見通しも立ちません。
こうした状況ですので、面会ができたとしても「どちらさんでした?」
そんな言葉を覚悟しなければいけません。
退院後は家で面倒が見られるのならヘルパーさんの手を借りながら、
生活させてやりたいと家族は考えています。
日々の暮らしの中で記憶が戻るのかは未知数ですし、
母親の姿をした別人がそこにいるかも知れません。
苦しかったこと、悲しかったことだけが記憶から取り除かれて、
嬉しかったこと、楽しかったことだけが残れば認知症と言われようと、
ボケ、痴呆と言われても幸せな老後かも知れません。
家族以外にはそんな顔は見せなかった母親ですが、
我がままで言い出したら人の意見など聞かなかった人が、
認知症になり会話がかみ合わなくなったときに、家族は
「あれだけ我がままな人やったのに、今は何を言ってもふんふんと聞いてはる、
ちょっと物足らんところもあるし、気の毒なことやなぁ」と、
同情と憐れみを持って接するのでしょうか。
そして、その状態でいることが、これまでいっぱい我がままを言ってきた本人が
家族対してできる、せめてもの罪滅ぼしなのかと、考えてしまいます。
年寄り笑うな行く道じゃ、改めてこの言葉を噛みしめています。
90歳になる母親のことですが、医師の話では認知症ということで、
字面からは一番当事者のプライドを傷つけない言葉のように感じます。
ネットで調べればわかるのだと思いますが、認知症と診断されている母親が、
実は痴呆に一番近い、となると母親のプライドを
息子が傷つけてしまいそうで・・・・調べません。
入院してから2か月以上になりますが、コロナで家族の面会も叶いません。
1か月ほど前に弟が廊下ですれ違った時に、
息子だと分からなかったということで、想像以上に進行が速いのに
驚いています。
まだこの先3か月ほどは病院暮らしで、面会もいつになればできるのか、
見通しも立ちません。
こうした状況ですので、面会ができたとしても「どちらさんでした?」
そんな言葉を覚悟しなければいけません。
退院後は家で面倒が見られるのならヘルパーさんの手を借りながら、
生活させてやりたいと家族は考えています。
日々の暮らしの中で記憶が戻るのかは未知数ですし、
母親の姿をした別人がそこにいるかも知れません。
苦しかったこと、悲しかったことだけが記憶から取り除かれて、
嬉しかったこと、楽しかったことだけが残れば認知症と言われようと、
ボケ、痴呆と言われても幸せな老後かも知れません。
家族以外にはそんな顔は見せなかった母親ですが、
我がままで言い出したら人の意見など聞かなかった人が、
認知症になり会話がかみ合わなくなったときに、家族は
「あれだけ我がままな人やったのに、今は何を言ってもふんふんと聞いてはる、
ちょっと物足らんところもあるし、気の毒なことやなぁ」と、
同情と憐れみを持って接するのでしょうか。
そして、その状態でいることが、これまでいっぱい我がままを言ってきた本人が
家族対してできる、せめてもの罪滅ぼしなのかと、考えてしまいます。
年寄り笑うな行く道じゃ、改めてこの言葉を噛みしめています。
Posted by いとう茂 at
15:41
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