2015年01月22日
残酷な生き物・・・・人間。
広島の原爆で亡くなった方は正確にはわかっていませんが、
14万人と広島市では推計しています、長崎の原爆では、
約7万4千人の方が亡くなっています。
第二次世界大戦の日本人の死者は朝鮮、台湾の
軍人、軍属を入れて310万人と厚生省では発表しています。
天下分け目といわれた関が原の合戦の死者は正確ではありませんが、
8000人という数字があります。
日本国内での最後の内戦である戊辰戦争の死者数は8400人余りとも
13,500人余りとも言われています。
関が原の合戦や戊辰戦争を実際に経験したわけではありませんので、
詳しいことはわかりません、もちろん第二次世界大戦や原爆のことも
知りません。
平成7年の阪神淡路大震災の死者は6434名と不明者3名、平成23年の
東日本大震災は関連死も含めて15889名と不明者2594名との発表が
あります。
大自然の猛威で亡くなられた方よりも人間同士が殺し合いをした
戦争の方が亡くなった方は圧倒的に多いのです。
冒頭の広島の原爆は14万人、長崎は7万4千人、アメリカが
この二つの都市に投下した原爆は広島はウラン型で
長崎はプルトニウム型と種類が違います。
一瞬ですべてを焼き尽くし多くの命を奪った原爆。
沖縄や硫黄島での戦闘も終結し制海権、制空権はアメリカ軍が握っていました。
戦争の早期終結だけなら、わざわざ種類の違う原爆を投下する必要が
あったのでしょうか、日本はある種モルモットのように考えられて
いたのではないでしょうか。
個人的な見解ですが、アメリカはキリスト教の国と言う印象があります、
自由、平等、博愛がその精神ではないのか。
博愛とは人間をモルモットだと考えて殺すことか。
随分昔ですが、そう思い、一人怒りを覚えていました。
残酷な者、それは人間。
残酷な心はすべての人間が持っているのかも知れません。
慈悲の心をすべての人が持っているように・・・・。
慈悲の慈とは苦を抜くということで悲とは悲しみということではなく、
楽を与えるということです。
つまり、慈悲とは苦を抜き楽を与えるということです。
残酷の酷とは、度を越して厳しいさま。思いやりがなくむごいさま
残酷とは無慈悲でむごたらしいこと。まともに見ていられないようなひどいやり方のさま。
こっちは調べました。
残酷と慈悲はどうやら対極にあるようです。
大自然の猛威で破壊された人の心やまち、ハード面での復興が進んでいない
地域が東北にはまだあります、ハード面だけでなく心も含めて
慈悲の心で復興に当たっていただきたいと思わず願ってしまいます。
世界で唯一の被爆国、それも実験台になった国、日本。
そうした経験がある国の人間だからこそ、余計に慈悲の心を
大切にしてほしいと思うのは私だけではないでしょう。
今日は午後から多忙です、1時から北消防署の視察があり、
3時30分から教育厚生常任委員会と総務常任委員会で
大津市の教育振興基本計画について審議があります。
それが終わり次第、総務常任委員会、7時30分からは
ピアザで9時まで会議です。
午前中は議員とは関係ないのですが、来週の28日に
琵琶湖ホテルで和太鼓の演奏をしますので、それの打ち合わせでした。
出演の機会が増えたので練習にも身が入ります、
昨夜も練習でしたが、久しぶりに大太鼓を叩き途中で息が上がり
かなりハードでした。
それでも心地良い汗をかき、気分転換になります。
こういう緩急、静と動と言ったメリハリが私には時々必要です。
14万人と広島市では推計しています、長崎の原爆では、
約7万4千人の方が亡くなっています。
第二次世界大戦の日本人の死者は朝鮮、台湾の
軍人、軍属を入れて310万人と厚生省では発表しています。
天下分け目といわれた関が原の合戦の死者は正確ではありませんが、
8000人という数字があります。
日本国内での最後の内戦である戊辰戦争の死者数は8400人余りとも
13,500人余りとも言われています。
関が原の合戦や戊辰戦争を実際に経験したわけではありませんので、
詳しいことはわかりません、もちろん第二次世界大戦や原爆のことも
知りません。
平成7年の阪神淡路大震災の死者は6434名と不明者3名、平成23年の
東日本大震災は関連死も含めて15889名と不明者2594名との発表が
あります。
大自然の猛威で亡くなられた方よりも人間同士が殺し合いをした
戦争の方が亡くなった方は圧倒的に多いのです。
冒頭の広島の原爆は14万人、長崎は7万4千人、アメリカが
この二つの都市に投下した原爆は広島はウラン型で
長崎はプルトニウム型と種類が違います。
一瞬ですべてを焼き尽くし多くの命を奪った原爆。
沖縄や硫黄島での戦闘も終結し制海権、制空権はアメリカ軍が握っていました。
戦争の早期終結だけなら、わざわざ種類の違う原爆を投下する必要が
あったのでしょうか、日本はある種モルモットのように考えられて
いたのではないでしょうか。
個人的な見解ですが、アメリカはキリスト教の国と言う印象があります、
自由、平等、博愛がその精神ではないのか。
博愛とは人間をモルモットだと考えて殺すことか。
随分昔ですが、そう思い、一人怒りを覚えていました。
残酷な者、それは人間。
残酷な心はすべての人間が持っているのかも知れません。
慈悲の心をすべての人が持っているように・・・・。
慈悲の慈とは苦を抜くということで悲とは悲しみということではなく、
楽を与えるということです。
つまり、慈悲とは苦を抜き楽を与えるということです。
残酷の酷とは、度を越して厳しいさま。思いやりがなくむごいさま
残酷とは無慈悲でむごたらしいこと。まともに見ていられないようなひどいやり方のさま。
こっちは調べました。
残酷と慈悲はどうやら対極にあるようです。
大自然の猛威で破壊された人の心やまち、ハード面での復興が進んでいない
地域が東北にはまだあります、ハード面だけでなく心も含めて
慈悲の心で復興に当たっていただきたいと思わず願ってしまいます。
世界で唯一の被爆国、それも実験台になった国、日本。
そうした経験がある国の人間だからこそ、余計に慈悲の心を
大切にしてほしいと思うのは私だけではないでしょう。
今日は午後から多忙です、1時から北消防署の視察があり、
3時30分から教育厚生常任委員会と総務常任委員会で
大津市の教育振興基本計画について審議があります。
それが終わり次第、総務常任委員会、7時30分からは
ピアザで9時まで会議です。
午前中は議員とは関係ないのですが、来週の28日に
琵琶湖ホテルで和太鼓の演奏をしますので、それの打ち合わせでした。
出演の機会が増えたので練習にも身が入ります、
昨夜も練習でしたが、久しぶりに大太鼓を叩き途中で息が上がり
かなりハードでした。
それでも心地良い汗をかき、気分転換になります。
こういう緩急、静と動と言ったメリハリが私には時々必要です。
Posted by いとう茂 at 12:32│Comments(0)