2017年06月28日

豆腐

荻原井泉水の言葉に次のようなものがあります。
読んでいて、なるほどと頷くところも多いので紹介しておきます。
井泉水は種田山頭火の師匠ともいわれており山頭火の自由律俳句に
大きな影響を与えています。
この文章を読んで昔に豆腐のほかに、適切な食材はないかと
考えたことがありました。
すぐに浮かんだのが大根でしたが、大根役者の語源が気になり
却下、代わってレンコンが浮かびレンコンの特性を考えて
荻原井泉水風に文章を考えたことがありました。
残念ながた当時はフロッピーでの保存で、探せばあると
思うのですが再生するパソコンが・・・・・・。
記憶をたどって近いうちに復元できたらと思っています。
今日は特別委員会が開催されました。
30日の閉会日まで今日を入れて3日、これが最後の公式の委員会に
なります、30日に議会運営委員会が開催されますが、
こちらは全議員が対象ではありませんので、所管事務調査は
今日で終わりになります。

豆腐
 豆腐ほど好く出来た漢はあるまい。  
彼は一見、佛頂面をしてゐるけれども決してカンカン頭の木念人ではなく、
軟かさの点では申し分がない。
しかも、身を崩さぬだけのしまりはもってゐる。
煮ても焼いても食えぬ奴と云ふ言葉とは反対に、煮てもよろしく、
焼いてもよろしく、汁にしても、あんをかけても、又は沸きたぎる油で揚げても、
寒天の空に凍らしても、それぞれの味を出すのだから面白い。  
又、豆腐ほど相手を嫌ばぬ者はない。
チリの鍋に入っては鯛と同座して恥ぢない。
スキの鍋に入っては鶏と相交って相和する。
ノッペイ汁としては大根や芋と好き友人であり、
更におでんにおいては蒟蒻や竹輪と強調を保つ。
されば正月の重詰めの中にも顔を出すし、
佛事のお皿にも一役を承らずには居ない。  
彼は実に融通がきく、自然に凡てに順応する。蓋(けだ)し、彼が
偏執的なる小我を持たずして、いはば無我の境地に到り得て居るからである。
金剛経に「應無所住而生其心」(おうむ しょじゅう に しょうごしん)
=應(まさ)に住する所無くして而も其の心を生ずべし(金剛般若經)とある。
これが自分の境地だと腰を据ゑておさまる心がなくして、
与えられたる所に従って生き、しかあるがままの時に即して振舞ふ。  
此の自然にして自由なるものの姿、これが豆腐なのである。


Posted by いとう茂 at 22:12│Comments(0)
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