2019年04月08日

昨日は地元のさくらまつりでした、天候も桜の咲き
具合も最高の日で、久しぶりに見事な桜のもとでイベントが
大盛況裡に終わりました。
子ども、講座の受講生、そして本会と和太鼓のステージ
発表も3回ありました。
久しぶりに防音マットを付けないで和太鼓を叩きましたので、
気持ちよく叩けました。
そして夜は雨降り、せっかくの桜が散ってしまわないか、
心配された方も多かったと思いますが、まだまだしっかり
花びらは散らずに枝についたままでした。
おかげで今日の入学式も思い出に残るものになりました。

昨日は統一選挙の第一弾、桜咲き桜散る、候補者にとっては
悲喜こもごもの夜になったことと思います。
人間界のことは置いておくとして、桜ほど人々にちやほや
される樹木はほかにはないだろう、そんな気がします。
つぼみが膨らみだすと、今日か、今日かと開花を待ちわび、
不意の雨には、まだ散らさないように祈るように花を見上げます。
這えば立て立てば歩めの親心ではありませんが、見守る姿が
他の樹木の比ではありません。

得な樹木なのでしょう、春になると緑色の山の中でも目立ちますし、
秋には色づいてまたまた存在感を示します。
もっとも、桜は自分が得な樹木だとは思っていないでしょうが。
落葉した桜の葉っぱは虫に食われて穴だらけです、それでも、
欅の葉のように乾燥してゴミ扱いされないだけましかも・・・・・。

山の木々の中には桜のような目立った存在ではなく、年中
緑の葉をつけた木々も多くあります、ほとんどの人が山の緑と
十把ひとからげのようにしか認識していませんが、それでも
自分を生き切っている樹木があります。
むしろそうした木々の方が多いかも知れません。
人間社会でも桜のような存在よりも、黙々と生きている人の方が
圧倒的に多いのだと思います。
強風に枝を折られたり、重い雪を春までかぶったまま耐えている
木のように、辛いことや深い悩みを抱えながら耐えている人が
大半ではないでしょうか。

愚痴をこぼしたって誰も助けてくれないし、自分がみじめになるだけ、
そう割り切っている人もいます。
年中自己主張をほとんどしない十把ひとからげの木々が山を構成
しているのです、黙って果実をつけて人や動物の命を支えている
木もあります。
堀の水の中で何も語らずお城を支えている石垣、十把ひとからげの
木々がなかったら山の保水作用はたちまち低下して、土砂崩れを
起こします、お堀の石垣と同じです。
世の中にはそんな役目を果たしている人の方が多い現実があります。
桜だけでなく、十把ひとからげの木々も実によく仕事をしている。
そんな気付きがありました。

Posted by いとう茂 at 21:47│Comments(0)
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