2022年03月31日

見えない部分の方が大きい問題

この前に、子ども・若者支援地域協議会実務者会議の記事をアップしました。
あの時いじめ担当の委員と会議の前に話していたことを思い出して、
自分なりに膨らませていました。
いじめは本人がいじめだと感じればいじめになります。
生きづらさを抱えた子どもたちの中には、周囲の友だちとうまく会話ができない、
コミュニケーション能力が低い子どももいます。
ひどくなれば発達障害と認定される生きづらさです。
言葉がうまく出てこないゆえに、心にもないことを話す場合もあるでしょうし、
何を言われても反論できない場合もあります。
永六輔さんの「子どもは可愛くて残酷なもの」の言葉通り、
会話ができないか嚙み合わない子どもは仲間に入れずいじめの標的、
と言っても周囲の子どもたちの心の中に、
いじめる気持ちがあるのかもわかりませんが、
ほとんど反論がないのでどんどん言葉遣いが
エスカレートしていくことは予想できます。
その次に来るのは手ごたえを感じなくなった周囲は、
その子の存在を忘れてしまいます、外から見れば無視になるのでしょうか。
そうした態度に耐えかねて「学校には行きたくない」・・・不登校。
これでいじめが原因で不登校になるのですが、
周囲の子どもたちにその子の特性を理解して、その子と接するという
配慮を求められるのか、そもそもそうした特性に気が付いて配慮ができる年齢なのか・・・・。

この子が専門機関で発達障害の疑いが強い・・・そんな診断を受けます。
親は子どもが学校に行ってくれればと、担任に子どもの診断結果を伝えます
・・・・ここで担任はどのような対応をとるでしょう。
親からはクラスの子どもたちには自分の子どもの診断結果を
内緒にしてほしいというお願いがありました。
担任はまずは学年主任に相談・・・う~ん・・・次は教頭に相談・・・
う~ん・・・ついには校長に相談。

この子が学校に行く方法を明確に示すことが出来る人間が何人いるでしょう。
発達障害のことには触れずに、放課後学級や自習教室に1時間でもいいから
来ることから始めようという方針になるかもしれません。
こうした状況の不登校の子どもは珍しいケースではありません。
外に出ている部分を見て判断しがちですが、問題の根っこはもっと
深いところにあります。
そうした部分はほとんどが見えないところにあり、見過ごされてしまいます。
地域の人たちは「あそこの親は過保護すぎる」「あの子は学校をサボっている」
・・・・もっと正しい理解を求める啓発を行政はすべきだと考えます。

Posted by いとう茂 at 15:17│Comments(0)
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