2022年06月20日

生きづらさは一つではありません

えこーに相談に来て1年余りの当事者がいます。
来た時から「空気が読めないので話題が合わずに友だちの輪に
入れない」と話していました。
医療機関にもかかっていて定期的に診察と面談をしています。
親と二人でえこーに来ますが、調子のいい時は自分で話して
親が口を挟むと「そうじゃなくて・・・・」ということになります。
しかし、調子が悪い時は「僕が考えていることは親の方が正確に伝えられる」
に変わります。

就労を希望していますが週に5日、決まった時間の就労は無理なので、
昨年末から支援機関が実施した就労体験を勧めました。
これは家でできることでノルマもなくやれるときにすればいいという緩い体験でしたが、
体験後の振り返りでは、家だとけじめがつかないのと
いつも目の前にしなければいけないことがあるので疲れたということでした。
かと言って、大勢の中に入っての仕事も出来ません。
内職とは違う家でできる仕事を希望しています、
パソコンが使えないのでテレワークはできません。
本人の希望通りの仕事は・・・ないと思います。
それでも、えこーは諦めませんので、他の支援機関との話し合いを今月末に行い、
この当事者に合う道を考えます。
話し合いで当事者に適した道が見つかっても、
それを当事者が受け入れてくれるかは別の問題です。

この当事者は厳密にはひきこもりの定義からは外れますが、
いくつも生きづらさを抱えていますので支援が必要です。
「医療機関との面談はどうだった」
「前半は自分のことを話しましたが後半は覚えていません」
「前半の自分のことって、どんな話をしたの」
「覚えていません」
こうした覚えていない、忘れたということはよくありますので、
その都度話題を変えて、当事者から聞き出すことになります。
これも生きづらさです、それを理解していないと
「自分のことなのに何を話したか覚えてないのかな、思い出してみて」
ということになり、当事者はパニックを起こして黙秘権行使です。
この当事者は「忘れた」と言っていますが、
実は覚えていて話す場を考えているように思います。
えこーで話をして場の空気を壊さないか、それを考えると話せなくなり、
忘れたという言葉が出てくる。
過去に何度も経験した空気が読めずに輪に入れなかったことが
トラウマになっていると私は考えています。
えこーで何でも話せない、それはえこーの寄り添いが足りない事が原因かもしれません。
その人に合った寄り添いを・・・・しなければ。

Posted by いとう茂 at 15:27│Comments(0)
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