2023年01月21日
阪神淡路大震災から28年が過ぎました
大津でも震度5の地震だったと記憶しています。
突き上げるような揺れで、枕もとの本棚を寝ながら抑えていました。
詳しいニュースがほとんどなく、阪神高速道路が倒れている映像や、
ヘリコプターから撮った地上で火災が発生している様子などで、
被害の全容はすぐには出ませんでした。
商店街の有志で炊き出しに行ったのは震災から1週間程度経ってからだったと思います。
大津市の総務課長の承認がないと被災地まで車で行けません、
何度かお願いしたのですが承認が出ないので、
市長が登庁する時間を狙ってアポなしで直談判、
市長の「行ってくれるのか」の言葉が熱かった記憶があります。
炊き出しを行う学校は、現地の災害対策本部のような所で教えてもらいました。
2000食ほどの食料と大きな釜、ポリタンク、薪をトラックに積んで深夜に出発でした。
それまでは炊き出しの下準備で、
支所の調理室に商店街のメンバーが集まって材料に火を入れる作業でした。
炊き出しとは別に綿菓子の機械とザラメ、延長コードも積んでいきました。
炊き出しができるまでは総出で準備ですが、配る段階では人が余ります、
校舎に電気が来ていることを確認して綿菓子を一人で作り始めました。
子どもたちに混じって高齢者も並んでいます、
たくさん作るので大きな綿菓子はできませんが、
無表情で並んでいる顔が綿菓子を渡すと笑顔に変わりました。
1月の校庭で暖房もないのに汗ばんでいました。
私一人で作っているのを見かねたのか、
若い女性が横に来て無言で手伝ってくれました。
できた綿菓子を並んでいる人に渡すだけでなく、
「砂糖を入れて」と紙コップを渡すと入れてくれますし
「割り箸を割って」と言えば割ってくれます。
これは助かりました、綿菓子を作ることだけに専念できますので効率が上がります。
炊き出しの方も持ってきたものすべてがなくなり、
ポリタンクも現地に置いてきました。
綿菓子も砂糖がなくなって終了し後片付けをしていると、
手伝ってくれていた女性が「また来てくれますか」と言葉を発しました。
全国から炊き出しにきても一度きり、
「また来たよ」と来るボランティアはいないのかも知れない。
そう考えて「また来ます」、この約束は1か月後に果たすことができました。
どんな女性だったか、顔立ちは、服装は、年齢は、
まるで記憶になかったのですが、向こうが覚えてくれていました。
あのし尿臭に満ちた校舎での生活はさぞ大変だったと思います。
2回目の炊き出しはこちらの人数も多く、最初から綿菓子づくりでした、
ザラメも1回目よりも増やして時間もありますので一回り大きな綿菓子が作れました。
相変わらず無口な女性ですが、前回よりもテキパキ動いてくれていました。
大人と子どもが半分ずつくらいだったでしょうか、
「ありがとう」「ありがとう」の連呼でしたが、こちらが「ありがとう」です。
こんなことしかできない自分、家に帰ったら暖かいものを腹いっぱい食べられます。
2回目の炊き出しはうどんが2000玉、
それも自分の財布から出たお金ではありません、商店街の会計から出しています。
ボランティアって何だろう、時々そんなことを考えます。
突き上げるような揺れで、枕もとの本棚を寝ながら抑えていました。
詳しいニュースがほとんどなく、阪神高速道路が倒れている映像や、
ヘリコプターから撮った地上で火災が発生している様子などで、
被害の全容はすぐには出ませんでした。
商店街の有志で炊き出しに行ったのは震災から1週間程度経ってからだったと思います。
大津市の総務課長の承認がないと被災地まで車で行けません、
何度かお願いしたのですが承認が出ないので、
市長が登庁する時間を狙ってアポなしで直談判、
市長の「行ってくれるのか」の言葉が熱かった記憶があります。
炊き出しを行う学校は、現地の災害対策本部のような所で教えてもらいました。
2000食ほどの食料と大きな釜、ポリタンク、薪をトラックに積んで深夜に出発でした。
それまでは炊き出しの下準備で、
支所の調理室に商店街のメンバーが集まって材料に火を入れる作業でした。
炊き出しとは別に綿菓子の機械とザラメ、延長コードも積んでいきました。
炊き出しができるまでは総出で準備ですが、配る段階では人が余ります、
校舎に電気が来ていることを確認して綿菓子を一人で作り始めました。
子どもたちに混じって高齢者も並んでいます、
たくさん作るので大きな綿菓子はできませんが、
無表情で並んでいる顔が綿菓子を渡すと笑顔に変わりました。
1月の校庭で暖房もないのに汗ばんでいました。
私一人で作っているのを見かねたのか、
若い女性が横に来て無言で手伝ってくれました。
できた綿菓子を並んでいる人に渡すだけでなく、
「砂糖を入れて」と紙コップを渡すと入れてくれますし
「割り箸を割って」と言えば割ってくれます。
これは助かりました、綿菓子を作ることだけに専念できますので効率が上がります。
炊き出しの方も持ってきたものすべてがなくなり、
ポリタンクも現地に置いてきました。
綿菓子も砂糖がなくなって終了し後片付けをしていると、
手伝ってくれていた女性が「また来てくれますか」と言葉を発しました。
全国から炊き出しにきても一度きり、
「また来たよ」と来るボランティアはいないのかも知れない。
そう考えて「また来ます」、この約束は1か月後に果たすことができました。
どんな女性だったか、顔立ちは、服装は、年齢は、
まるで記憶になかったのですが、向こうが覚えてくれていました。
あのし尿臭に満ちた校舎での生活はさぞ大変だったと思います。
2回目の炊き出しはこちらの人数も多く、最初から綿菓子づくりでした、
ザラメも1回目よりも増やして時間もありますので一回り大きな綿菓子が作れました。
相変わらず無口な女性ですが、前回よりもテキパキ動いてくれていました。
大人と子どもが半分ずつくらいだったでしょうか、
「ありがとう」「ありがとう」の連呼でしたが、こちらが「ありがとう」です。
こんなことしかできない自分、家に帰ったら暖かいものを腹いっぱい食べられます。
2回目の炊き出しはうどんが2000玉、
それも自分の財布から出たお金ではありません、商店街の会計から出しています。
ボランティアって何だろう、時々そんなことを考えます。
Posted by いとう茂 at 08:10│Comments(0)